嶲州
中国にかつて存在した州
嶲州(巂州、すいしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から唐代にかけて、現在の四川省涼山イ族自治州一帯に設置された。
概要
編集537年(大同3年)、南朝梁の武陵王蕭紀により嶲州が立てられた。
570年(天和5年)、北周の鄭恪が越嶲を平定し、西寧州を置いた[1]。ほどなく西寧州は厳州と改称された。
586年(開皇6年)、隋により厳州は西寧州と改称された。598年(開皇18年)、西寧州は嶲州と改称された。嶲州は越嶲・邛都・蘇祗・可泉・台登・邛部の6県を管轄した。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、嶲州は越嶲郡と改称された[2]。
618年(武徳元年)、唐により越嶲郡は嶲州と改められた。嶲州は剣南道に属し、越嶲・邛部・台登・蘇祗・西瀘・昆明・会川の7県を管轄した。742年(天宝元年)、嶲州は越嶲郡と改称された。757年(至徳2載)、越嶲郡は吐蕃に占領された。758年(乾元元年)、形式的ながら唐の越嶲郡は嶲州と改称された[3]。797年(貞元13年)、唐の韋皋が嶲州を奪回した[4]。831年(大和5年)、南詔が嶲州に侵攻し、2県を奪った。832年(大和6年)、唐により嶲州は台登県に州治を移された[5]。咸通年間に嶲州全域は南詔に占領され、建昌府と改められた[6]。