島津運久
日本の戦国時代の武将。相州家初代当主島津友久長男で、相州家2代当主
島津 運久(しまづ ゆきひさ)は、戦国時代の武将。薩摩国島津氏の分家・相州家2代当主。
島津運久(尚古集成館蔵) | |
時代 | 戦国時代 |
生誕 | 応仁2年(1468年) |
死没 | 天文8年7月1日(1539年8月14日) |
別名 | 忠幸、通称:三郎左衛門尉、相模守(受領名) |
主君 | 島津忠昌→忠治 |
氏族 | 島津相州家 |
父母 | 父:島津友久 |
妻 | 正室:梅窓夫人(常盤、新納是久娘) |
子 |
島津忠将室、佐多忠成室、長徳軒忠貞(庶流、江戸時代の旗本である後藤島津氏の祖)、野間喜庵 養子:忠良 |
生涯
編集明応3年(1494年)、伊作氏の伊作善久が下男により殺害されると、その室の梅窓夫人を娶った。この際、梅窓夫人の提示した条件が善久の遺児・菊三郎(後の忠良)を相州家の跡継ぎとするというものであった。永正9年(1512年)、運久は約定通り当主の座を忠良に譲って隠居した。その後運久は宗家の領内平定戦にも参加している。
天文8年(1539年)に死去、享年72。