島津忠直 (垂水家)

江戸時代前期から中期の薩摩藩士

島津 忠直(しまづ ただなお)は、江戸時代前期から中期の薩摩藩士。大隅郡垂水[1]領主。垂水島津家8代当主。

 
島津忠直
時代 江戸時代
生誕 貞享5年4月5日1688年5月4日
死没 正徳元年6月25日1711年8月9日
別名 又四郎、玄蕃(通称
墓所 鹿児島県垂水市田神垂水島津家墓所(心翁寺跡)
主君 島津綱貴吉貴
薩摩藩
氏族 垂水島津家
父母 父:島津綱貴、母:お豊の方(江田国重の娘)
鎌鶴(島津貴儔室)、養子:貴儔
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経歴

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貞享5年(1688年)4月5日、薩摩藩主島津綱貴の三男として生まれる。元禄6年(1693年)、綱貴の命で垂水島津久治の家督を相続した。家中の序列は、加治木島津家の久季に次ぐ2番目。

先代久治から続く嫁女川(よめじょがわ)疎水工事を継続した。工事には3万両と50年の月日を費やし、次代貴儔の寛保元年(1741年)に竣工した。

正徳元年(1711年)6月25日。享年24。家督は藩主島津吉貴(忠直の兄)の三男貴儔が相続した。貴儔と正室鎌鶴(忠直次女)の娘都美は、加治木家の島津久門(のちの7代藩主重年)に嫁ぎ、8代藩主重豪を産んでいる。

和歌

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  • 君が代はいつもかはらぬ松が枝の幾千年をかながく契らん
    元禄12年(1699年)4月14日、父綱貴50歳を祝う祝宴の席で献じた和歌(西藩野史)

脚注

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参考文献

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  • 『垂水市史』第1巻 垂水市史編集委員会、1973年
  • 『西藩野史』