島津久茂
島津 久茂(しまづ ひさもち)は、江戸時代中期の薩摩藩士。都城私領主である都城島津家20代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永8年(1711年) |
死没 | 安永3年6月21日(1774年7月29日) |
改名 | 彌五七(幼名)→久珍(初名)→久茂 |
別名 | 石見、筑後(通称)、石雲(号) |
戒名 | 法雲院殿内山良寛大居士 |
墓所 | 宮崎県都城市都島町の都城島津家墓地 |
主君 | 島津継豊→宗信→重年→重豪 |
藩 | 薩摩藩都城私領主 |
氏族 | 都城島津家 |
父母 | 父:島津久龍、母:前田時尚の娘 |
妻 |
正室:二階堂行寧の娘、 側室:石坂氏章の娘 |
子 |
万袈裟(島津忠紀室)、虎袈裟、久般、 袈裟安、鶴安(島津久兵室)、岩亀、久倫 養女:於三(樺山久初の娘、島津忠紀後室) |
生涯
編集宝永8年(1711年)、19代当主島津久龍の次男に生まれる。兄が早世したため嫡男となる。享保8年(1723年)、鹿児島城に於いて元服し久珍と名乗る。
享保16年(1731年)、島津宗家の拝謝使として家老以下を随え江戸へ赴き、将軍徳川吉宗に拝謁し、太刀、馬などを献上する。
宝暦年間、家臣の池田貞記に命じ、茶の栽培法および製茶法を山城国宇治にて学ばせる。貞記は創意工夫を加え、気候・風土に恵まれた霧深い都城盆地の名産として今に続く都城茶を創り出した。宝暦7年(1757年)、桃園天皇に都城茶を献上、叡感あり、菊花御紋章入りの茶碗および土器を賜る。この茶碗および土器は現存し、都城歴史資料館に展示されている。
武術を好み、撃剣および銃術の奥義を極めた。特に射的および鳥獣を撃つことを得意とした。また、領内の銃工に命じ小銃4丁を製造し、島津宗家に献上している。
安永3年(1774年)、64歳で死去した。龍峰寺に葬られた。
参考文献
編集- 瀬戸山計佐儀『都城島津家歴代史 全』三州文化社、1992年
- 『都城市史』
- 『都城盆地 史跡ガイドブック ①旧都城市編』南九州文化研究会、2014年