島津 久徳(しまづ ひさのり、寛政10年4月14日1798年5月29日) - 嘉永3年1月10日1850年2月21日))は、江戸時代後期の薩摩藩士、加治木島津家第8代当主。

幼名は省之進。通称は又八郎、兵庫、内匠。

略歴

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寛政10年(1798年)4月14日、今泉島津忠厚の子として生まれる。実父の忠厚については第8代藩主島津重豪の三男とされるが、「近秘野艸」(『鹿児島県史料』「伊地知季安著作史料集六」所収)では加治木第6代島津久徴の子とされている。

文化13年(1816年)、加治木島津久照の死去により、加治木家の家督を相続する。文政7年(1824年)領内に水田開発のため用水池を完成させる。嘉永3年(1850年)1月10日没。享年53。家督は嫡男の久長が相続した。

系譜

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参考文献

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  • 「加治木郷土史料」