島津久亮
島津 久亮(しまづ ひさすけ)は、薩摩国薩摩藩家老宮之城島津家第9代。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 享保21年2月27日(1736年4月7日) |
死没 | 宝暦13年9月26日(1763年11月1日) |
改名 | 知之助(幼名)→久亮 |
別名 | 図書(通称) |
墓所 | 鹿児島県宮之城町宗功寺 |
主君 | 島津継豊→宗信→重年→重豪 |
藩 | 薩摩国薩摩藩 |
氏族 | 島津氏 |
父母 | 父:島津吉貴、母:お幾(郷田兼近の娘)、養父:島津久倫 |
兄弟 | 継豊、貴儔、忠紀、久亮、貴澄、忠卿、忠温など(島津吉貴の項参照) |
子 | 養子:久濃 |
家系
編集略歴
編集享保21年(1736年)薩摩藩前藩主島津吉貴の子として生まれる。母は郷田兼近の娘お幾。藩主重年、重豪に家老として仕えた。
元文元年(1736年)宮之城島津久倫の養子となる。寛保2年(1742年)2月、前藩主吉貴の加冠で元服し「図書」と名乗る。9月に藩主で実兄の継豊に拝謁して、宮之城島津家を相続したお礼を言上した[1]。
宝暦3年(1753年)藩主重年に、将軍徳川家重への謝恩使を命じられて、江戸に下向した[2]。宝暦5年(1755年)家老に就任。
宝暦13年(1763年)9月26日、死去。享年29。家督は養父久倫の実子久濃が相続した。
人物
編集宗功寺墓所の墓石に久亮から十文字の家紋が使用されている。