島々駅

かつて長野県松本市波田にあったアルピコ交通の駅

島々駅(しましまえき)は、長野県東筑摩郡波田町(現・松本市波田)前渕にあった松本電気鉄道(現・アルピコ交通上高地線である[1]

島々駅
しましま
Shimashima
新島々 (1.3 km)
地図
所在地 長野県東筑摩郡波田町前渕
北緯36度11分6.98秒 東経137度48分31.4秒 / 北緯36.1852722度 東経137.808722度 / 36.1852722; 137.808722座標: 北緯36度11分6.98秒 東経137度48分31.4秒 / 北緯36.1852722度 東経137.808722度 / 36.1852722; 137.808722
所属事業者 松本電気鉄道
所属路線 上高地線
キロ程 15.7 km(松本起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
開業年月日 1922年大正11年)9月26日
廃止年月日 1985年昭和60年)1月1日
備考 上高地線の部分廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示

概要

編集

かつては上高地線の終点駅であり、上高地方面などへのバスが駅前から発着していた[1]。しかし1965年昭和40年)に隣の赤松駅が梓川3ダム(奈川渡ダムなど)工事の資材運搬拠点となり、さらに翌1966年(昭和41年)にはバスターミナルが整備され新島々駅と改称された[2]後は、新島々 - 当駅間の利用者数は減少した。さらにこの区間は1983年(昭和58年)に台風10号による土砂災害で不通となり、そのまま翌年末に廃止[2]、駅舎は1988年(昭和63年)春に解体された。

駅舎跡地はバス転回所として使用されている。ホームのあった場所は、付け替えられた国道上である。

駅舎解体後、1.3 kmほど離れた新島々駅の向かいに旧島々駅の駅舎を再現した「波田町観光案内所」が建設された[3][4][5]

歴史

編集

1921年大正10年)10月に部分開通した筑摩鉄道は、1922年(大正11年)9月26日に島々駅まで延伸開業して全通した[6]。鉄道免許は梓川上流の「竜島」まであったが、着工することはなく、当駅が終着駅となった。北アルプス登山や上高地乗鞍高原観光への出発拠点駅としてにぎわった[6]

駅は前渕にあったが、当初から「島々駅」と名づけられた。安曇村(現・松本市安曇)島々の登山基地としての当時の知名度の高さと、山岳観光の入り口としてのイメージから命名されたものであろう[2](島々集落は島々駅から西へ2 kmほど奥である)。また、筑摩鉄道(後に筑摩電気鉄道、さらに松本電気鉄道に改称)に与えられていた免許区間は、梓川を挟んで島々集落と向かい合う龍島(現・松本市波田竜島)までだったが、工事上の至難さから建設は断念された[2]

観光客・登山客の増加に伴い、周辺に平地の少ないこの駅では、これらの乗降・乗換客に対応するバス・ターミナル用地の確保が困難であり、旧赤松駅にこの機能を移すことにしてバス・ターミナルを新設、1966年(昭和41年)10月1日に旧赤松駅を新島々駅に改称し、島々駅は無人駅になった[6]。末期は大部分の列車が新島々で折り返すようになり、1日数本のみの運転となっていたこともあって、1983年(昭和58年)9月28日台風10号による土砂災害の影響で線路上に砂礫が堆積し、列車の運行が不能となった後も復旧工事は行われず、そのまま1985年(昭和60年)1月1日に正式に廃止となった[6]

駅構造

編集

1面2線の島式ホームで、構内踏切を渡ってホーム端から出入りする構造であった。この他、側線1線を有していた[7]

のりば

編集
番線 路線 行先
1 上高地線 新島々波田新村信濃荒井松本方面
2

駅周辺

編集

廃止後

編集

駅舎跡と駅前広場は更地となっている。 前淵集落入り口から廃線跡上に国道が付け替えられ、島々駅ホームがあった場所は、「前渕」停留所の西側道路上である。新島々駅以西の島々駅を含んだ廃止区間のうち数百メートルほどは留置線として使用されている。その先は車止めになっているがレールは盛土を突き出して数メートルで途切れている。 そこからは上赤松集落内を通り国道や梓川と並走する。 御岳社の付近が廃止の原因になった土砂災害現場。 その先、築堤や橋が残されていたがバイパス道路の建設に伴い撤去された。 この近辺は梓川対岸の梓川地域の八景山地区とを結ぶ道路橋の建設が計画されている。

松本市 波田観光案内所

編集
 
島々駅の駅舎を再現した松本市波田観光案内所(2006年)

登山者らから取り壊された島々駅の復元を望む声が強く、1991年平成3年)に当時の波田町が、松本電鉄に保存されていた図面を基に3,500万円をかけて新島々駅向かいに波田町観光案内所として新築、出札口や待合室など当時のままに再現した[3][4]

旧駅舎を移設保存されたとする書籍や情報が散見されるが[9][10][11]、前述の通り1988年(昭和63年)春に解体されたため、この建物は島々駅の復元建築である。復元にあたり駅舎の一部の建材は流用されている[5]

一階は観光案内所と特産物直売所として、二階はギャラリーまたは工芸品作業所として使用されていたが、2016年(平成28年)4月1日に供用廃止された[12]。なお、当施設は冬季の営業を行っていなかったため、営業最終日は2015年(平成27年)秋頃であった。その後、建物はそのまま残されたが、民間入札もなく2022年令和4年)に解体された[13]

駐車場は「新島々駅パークアンドライド駐車場」として使われている。

隣の駅

編集
松本電気鉄道
上高地線
新島々駅 - 島々駅

脚注

編集
  1. ^ a b 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、304頁。ISBN 9784784071647 
  2. ^ a b c d 『安曇村誌 第3巻 歴史下』安曇村、1998年3月、548ページ
  3. ^ a b 信濃毎日新聞』1991年7月15日、26面。
  4. ^ a b 市民タイムス』1991年7月16日、2面。
  5. ^ a b MYMAP: “旧島々駅舎”. まち空間プラス. エキサイトブログ. 2022年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月5日閲覧。
  6. ^ a b c d 松本電気鉄道株式会社社史編集委員会『曙光-80年の歩み』松本電気鉄道株式会社、2000年3月
  7. ^ 昭和の終着駅 北陸・信越篇(交通新聞社 2017年6月)p.132 - 133
  8. ^ 知る人ぞ知る安曇の芝桜の名所” (PDF). 松本市公民館報 【安曇版】 あずみ 第579号. 松本市. p. 3 (2018年5月30日). 2023年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月15日閲覧。
  9. ^ 『写真で綴る 昭和の鉄道施設 西日本編』株式会社ネコ・パブリッシング、2014年1月6日。 
  10. ^ 「終着駅から始まるバスの旅」『旅と鉄道』、朝日新聞出版、2014年11月21日。 
  11. ^ 『昭和の終着駅 北陸・信越篇』交通新聞社、2017年6月7日。 
  12. ^ 施設カルテ(波田観光案内所)” (PDF). 松本市. 2022年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月8日閲覧。
  13. ^ 旧島々駅復元駅舎の解体始まる 県内外のファン落胆」『市民タイムス』2022年2月15日。オリジナルの2022年2月18日時点におけるアーカイブ。2022年2月18日閲覧。

関連項目

編集