岸衛
岸 衛(きし まもる、1885年(明治18年)8月19日[1] - 1958年(昭和33年)12月11日[2])は、明治時代後期から昭和時代の政治家、実業家。熱海ホテル経営者、衆議院議員(3期)。静岡県熱海市長(1947年4月6日-1948年7月12日)。岩代鉱業社長、日本貿易振興会副会長、拓務大臣秘書官、観光事業審議会、国立公園審議会各委員も手がけた。
経歴
編集岸正三の長男として[3]、埼玉県北足立郡浦和町(浦和市を経て現さいたま市)に生まれる[4]。1913年(大正2年)家督を相続する[3]。1906年(明治39年)東京外国語学校英語科卒業[2][3]。卒業後すぐに渡欧し、1908年から欧米のホテルで働き、27歳で一度帰国し、帝国ホテル副支配人を務めた[5]。1913年にニューヨークのアスターホテル (en [注 1]) で半年働いたのち[6]、熱海ホテルを経営した[2]。同ホテルは、1892年創業の熱海の樋口ホテルの長女と岸が結婚したのがきっかけで、1916年末には樋口ホテルを熱海ホテルと改称してその代表となり、その後日本観光株式会社を創立し、熱海内で新たにホテル用地を探し、伊豆山中腹を開拓して1922年に開業したものである[5][7]。
ほか、熱海町会議員、1923年(大正12年)2月[8]、同町長、田方郡会議員、同参事会員、同議長、静岡県会議員、同参事会員、同副議長、拓務大臣秘書官、日本観光専務取締役を歴任した[2]。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第2区から立憲民政党所属で出馬し当選[2]。つづく第17回、第18回総選挙でも当選し衆議院議員を3期務めた[2]。戦後、1947年(昭和22年)4月に熱海市長に当選した[9]。
家族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 現在のウォルドルフ=アストリア創業者にあたるアスター家4代目ウィリアム・ウォルドルフ・アスターからマンハッタンの土地を購入しホテルを建設した。
出典
編集- ^ 衆議院事務局 1928, 16頁.
- ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1962, 164頁.
- ^ a b c 人事興信所 1928, キ51頁.
- ^ 衆議院事務局 1928, 328頁.
- ^ a b 『ホテルと日本近代』富田昭次、2003、青弓社、p226-
- ^ JAPANESE HOTELS TO USE OUR METHODS; Mamoru Kishi, After Studying Houses in Many Lands, Says Those of America Are Best.The New York Times, Aug. 3, 1913
- ^ 樋口ホテルの改称『ジヤパンツーリストビューロー事業報告. 大正5年度』(ジヤパンツーリストビューロー, 1918)
- ^ 静岡新聞社出版局 1991, 533頁.
- ^ 静岡新聞社出版局 1991, 534頁.
- ^ 岸衛『人事興信録』第15版 上
- ^ 皇國第一等之温泉豆州熱海全圖 明治三十四年九月改正山下重房, 小川徳太郎. 1900、スタンフォード大学図書館所蔵
- ^ 『日本ホテル館物語』長谷川堯、プレジデント社、1994、p182
- ^ 第6話「温泉宿のまちにホテルが出現!~成島柳北も称賛した~」熱海市教育委員会 生涯学習課 網代公民館 歴史資料管理室、令和2年7月28日
参考文献
編集- 『第五十五回帝国議会 衆議院議員名簿 昭和三年四月十日現在』衆議院事務局〈衆議院公報附録〉、1928年 。
- 衆議院事務局 編『衆議院要覧 昭和3年12月(乙)』衆議院事務局、1928年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249。