岸田俊輔
日本の大蔵官僚
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日[1] - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。
来歴
編集広島県出身[1]。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業[3]。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)[4][5]。
1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。1968年12月 大臣官房文書課長補佐(審査)[6]。1972年5月 大臣官房付(外務省研修所)。1973年5月21日 外務省在ドイツ大使館一等書記官。1975年1月 外務省在ドイツ大使館参事官。1976年6月30日 国際金融局短期資金課長。1978年6月17日 大臣官房調査企画課長。1980年6月17日 国税庁調査査察部長。1982年6月1日 大阪国税局長。1983年6月7日 国税庁次長。1985年2月8日 証券局長。
1986年6月10日 退官。同年年6月 NTT取締役。1988年6月 同社常務取締役。1989年7月 同社特別参与(〜1989年8月)。同年9月 広島銀行常任顧問。1990年6月 同行専務取締役。1993年4月 同行代表取締役副頭取。1994年6月 同行代表取締役会長。2000年6月 同行取締役相談役。また、1992年9月から1995年まで崇徳学園理事長も務めた。
略歴
編集- 1955年4月:大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)[4][5]。
- 1962年7月:萩税務署長。
- 1963年7月:国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
- 1965年7月:国際金融局国際収支課長補佐。
- 1966年12月:国際金融局投資第二課長補佐。
- 1968年7月:国際金融局投資第一課長補佐。
- 1968年12月:大臣官房文書課長補佐(審査)[6]。
- 1972年5月:大臣官房付(外務省研修所)。
- 1973年5月21日:外務省在ドイツ大使館一等書記官。
- 1975年1月:外務省在ドイツ大使館参事官。
- 1976年6月30日:国際金融局短期資金課長。
- 1978年6月17日:大臣官房調査企画課長。
- 1980年6月17日:国税庁調査査察部長。
- 1982年6月1日:大阪国税局長。
- 1983年6月7日:国税庁次長 兼 国税庁直税部長事務取扱。
- 1983年6月16日:国税庁次長。
- 1985年2月8日:証券局長。
- 1986年6月10日:退官。
- 1986年6月:NTT取締役。
- 1988年6月:NTT常務取締役。
- 1989年7月:NTT特別参与(〜1989年8月)。
- 1989年9月:広島銀行常任顧問。
- 1990年6月:広島銀行専務取締役。
- 1992年9月:崇徳学園理事長(〜1995年3月)。
- 1993年4月:広島銀行代表取締役副頭取。
- 1994年6月:広島銀行代表取締役会長。
- 2000年6月:広島銀行取締役相談役。
人物
編集脚注
編集- ^ a b c d e 『人事興信録 第38版 上』き82頁。
- ^ 『人事興信録 第9版』キ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月25日閲覧。
- ^ 『日本の官庁 ーその人と組織ー (C)』政策時報社、1976年5月発行、398頁
- ^ a b 『大蔵要覧 61年版』政策時報社、1985年12月発行、33頁
- ^ a b 『日本官界名鑑 第33版』日本官界情報社、1981年12月発行、235頁
- ^ a b 『職員録 昭和46年版 上巻』大蔵省印刷局、1970年発行、470頁
- ^ a b 『官界 第5〜8号』政策時報社、1982年5月発行、49頁
- ^ 『日本の官庁 ーその人と組織ー (大蔵省、通商産業省、経済企画庁)』政策時報社、1982年5月発行、428頁
- ^ a b 『日本の官庁 ーその人と組織ー (大蔵省、通商産業省、経済企画庁)』政策時報社、1982年5月発行、429頁
- ^ 『昭和四十八年版 職員録』(大蔵省印刷局編)482頁。
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第38版 上』人事興信所、1995年。