岩城邦規
伊達 邦規(だて くにのり)/岩城 邦規(いわき くにのり)は、江戸時代後期から幕末にかけての武士。陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家11代当主。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 天保4年(1833年) |
死没 | 明治9年(1876年1月2日) |
改名 | 伊達邦規→岩城邦規→基規? |
別名 | 通称:数馬 |
主君 | 伊達慶邦 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏→岩城氏 |
父母 | 父:伊達宗恒、養父伊達義隆 |
兄弟 | 伊達邦実、三沢邦為、邦規 |
生涯
編集享和3年(1833年)、亘理伊達氏12代当主・伊達宗恒の三男として生まれる。
文久2年(1862年)8月、叔父で岩谷堂伊達氏10代当主・伊達義隆の死去により家督を相続し、岩谷堂邑主となる。仙台藩13代藩主・伊達慶邦の偏諱を受け伊達数馬邦規と名乗った[1]。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争の際に藩主一門として出陣するも、仙台本藩が敗戦で知行を4分の1に削減されたことにより、代々領した岩谷堂領を没収される。明治2年(1872年)、先祖の姓である岩城氏に復姓した。
明治9年(1876年)1月2日、死去。享年44。
参考文献
編集- 『仙台人名大辞書』
脚注
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