岩切 章太郎(いわきり しょうたろう、1893年5月8日 - 1985年7月16日)は、日本の実業家宮崎交通グループの創業者。宮崎県宮崎市出身。

岩切章太郎翁 銅像

人物

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宮崎を観光地として整備した立役者として「宮崎観光の父」と呼ばれる。日南海岸に現在宮崎の風物詩になっているフェニックスの植林を行い、こどもの国の開園、えびの高原の観光開発、橘公園の造園など「大地に絵を描く」という理念で大型の観光開発を行った。

住友時代の同期には、田路舜哉住友商事会長)、土井正治住友化学会長)などがいた。また大学の同窓生である岸信介元首相と懇意であり、佐藤栄作元首相に全日空の社長就任を要請されるなど中央政界にも太いパイプを持った人物だった。1988年より宮崎市は「岩切章太郎賞」を創設し顕彰している。

年譜

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主な著作

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  • 『無尽灯』(講談社1962年鉱脈社1992年
  • 『続無尽灯』(講談社、1972年
  • 『続続無尽灯 一木一草』(講談社、1980年
  • 『自然の美人工の美人情の美 岩切章太郎講演集』(鉱脈社、1990年
  • 『私の履歴書―昭和の経営者群像(3)』(日本経済新聞社、1992年
  • 『心配するな工夫せよ―岩切章太郎翁半生を語る』(鉱脈社、2004年

関連著作

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  • 宮崎放送編『わたしの岩切さん 85人の108のエピソードでつづる人間・岩切章太郎』(鉱脈社、1988年

関連

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脚注

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  1. ^ “ブーゲンビリア新品種 宮崎空港ビルで発見” (日本語). 宮崎日日新聞社 Miyanichi e-press. (2015年7月20日). https://www.the-miyanichi.co.jp/chiiki/category_8/_13748.html 2021年5月1日閲覧。 

参考文献

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外部リンク

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