岡田光了
日本の裁判官
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2024年2月) |
岡田 光了(おかだ みつのり、1925年8月24日 - 1998年5月27日)は、日本の裁判官。専門は刑事法。ロッキード事件丸紅ルート第1審の裁判長を務めたことで知られる。
来歴
編集※以下の出典は(ロッキード事件関連を除き)「岡田光了先生略歴」『清和法学研究』6号(清和大学法学部、1999年3月31日、p.313)による。
東京に生まれる。
1944年に海軍予備生となり、1945年8月に復員した。
1948年に東京大学法学部を卒業する。人事院事務官となるが、在職中に司法試験に合格し、1953年に人事院を退官した。司法修習生を経て、1955年に新潟地方裁判所の判事補となる。1965年に東京地方裁判所判事に転任する。1968年から司法研修所教官を務めた後、1972年からは再び東京地方裁判所に戻り判事、部総括判事(1975年)となる。この時代にロッキード事件丸紅ルートの審理を裁判長として担当した。1983年10月の判決では、被告の田中角栄に対して懲役4年の実刑判決を下している[1]。
1985年に福島地方裁判所長に就任するが、翌年には東京高等裁判所統括判事に転じた。同じ1986年には法制審議会刑事法特別委員会委員にも選任されている。その後、司法書士試験委員も務める。1989年から横浜地方裁判所長を務めた後、1992年に停年退官した[2]。
退官後は弁護士登録するとともに、東京地方裁判所の調停委員にも就任する。
1993年に中央学院大学法学部客員講師(刑法・刑事訴訟法担当)となり、1995年からは清和大学法学部教授(刑事政策・経済刑法担当)に就任した。
主な担当事件
編集※以下の出典は「岡田光了先生略歴」『清和法学研究』6号(清和大学法学部、1999年3月31日、p.313)による。
脚注
編集- ^ ロッキード事件丸紅ルート第一審判決 - 京都産業大学
- ^ 以上につき『全裁判官経歴総覧 第5版』公人社 2010.12.10 p60