岡本達也
岡本 達也(おかもと たつや、1986年9月19日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。
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名前 | ||||||
愛称 | タツヤ | |||||
カタカナ | オカモト タツヤ | |||||
ラテン文字 | OKAMOTO Tatsuya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年9月19日(38歳) | |||||
出身地 | 静岡県浜松市中央区 | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 69kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | Criacao Shinjuku | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 50 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2002-2004 | ジュビロ磐田ユース | |||||
2007-2010 | 順天堂大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2006 | ジュビロ磐田 | 0 | (0) | |||
2011-2012 | 水戸ホーリーホック | 42 | (11) | |||
2013-2014 | ガイナーレ鳥取 | 53 | (8) | |||
2015- | Criacao Shinjuku | 14 | (3) | |||
通算 | 109 | (22) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年3月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集小学校時代からのジュビロ磐田育ちで、ユースでは藤井貴との2トップで得点を重ね、上田康太らと共にトップチームへの昇格を果たした。しかし出場機会を得ることはできなかった。
本人が大学への進学を希望した事により、2006年シーズンの契約をもってチームを退団した。 2007年3月8日、本人より順天堂大学への入学が決定したとジュビロ磐田会員専用サイト内にて発表。また大学進学後もサッカーを続け、スピードという弱点を克服してJリーグの舞台への復帰を目指すともコメントしている。
順天堂大学ではレギュラーFWの一角として活躍、2007年関東大学リーグの新人王を獲得した。天皇杯では、3回戦でベガルタ仙台を相手に延長後半に2得点を挙げ、チームの勝利に貢献した。また、4回戦では古巣のジュビロ磐田と対戦し、チーム唯一の得点をマークした。 2009年には得点王とアシスト王の2冠に輝き、1年での1部復帰に貢献した。
2011年に水戸ホーリーホックへ入団。ジュビロ時代以来5年ぶりにJリーグへ復帰した。水戸ではゴールを決めると胡坐をかいて「大仏」のポーズを取るパフォーマンスを行なうことが多く、クラブではこの写真を使ったポスターも公式に発売していた。
2012年12月15日に高校の同級生と結婚。同年日本プロサッカー選手会副会長に就任。
2013年、ガイナーレ鳥取に完全移籍。同年、日本プロサッカー選手会監事に就任[1]。2014年には、チームキャプテンを務める[2]。2015年1月、契約満了により退団[3]。同年2月、自身のブログで現役引退を発表した[4]。
2015年3月、アマチュア選手として当時東京都社会人サッカーリーグ1部所属のCriacao(現・Criacao Shinjuku)に入団[5]。2017年よりGMを兼任[6]するが、選手としても出場を続け、2021年シーズンには関東サッカーリーグ1部ベストイレブンに選出される活躍を見せた[7]。
所属クラブ
編集- 1995年 - 1998年 ヤマハジュビロサッカースクール浜松Jr
- 1999年 - 2001年 ヤマハジュビロサッカースクール浜北Jrユース
- 2002年 - 2004年 ジュビロ磐田ユース(静岡県立磐田南高等学校)
- 2005年 - 2006年 ジュビロ磐田
- 2007年 - 2010年 順天堂大学
- 2011年 - 2012年 水戸ホーリーホック
- 2013年 - 2014年 ガイナーレ鳥取
- 2015年 - Criacao / Criacao Shinjuku
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2005 | 磐田 | 35 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
2006 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2007 | 順大 | 13 | - | - | - | 3 | 3 | 3 | 3 | ||
2009 | 9 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
2010 | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | |||||
2011 | 水戸 | 13 | J2 | 24 | 3 | - | 0 | 0 | 24 | 3 | |
2012 | 18 | 8 | - | 2 | 0 | 20 | 8 | ||||
2013 | 鳥取 | 11 | 23 | 3 | - | 0 | 0 | 23 | 3 | ||
2014 | J3 | 30 | 5 | - | 1 | 0 | 31 | 5 | |||
2015 | Criacao /C新宿 |
50 | 東京都1部 | 14 | 3 | - | - | 14 | 3 | ||
2016 | - | - | |||||||||
2017 | - | - | |||||||||
2018 | - | - | |||||||||
2019 | 関東2部 | 18 | 6 | - | - | 18 | 6 | ||||
2020 | 関東1部 | 9 | 1 | - | - | 9 | 1 | ||||
2021 | 22 | 12 | - | - | 22 | 12 | |||||
2022 | JFL | 23 | 0 | - | - | 23 | 0 | ||||
2023 | 18 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | |
日本 | J2 | 65 | 14 | - | 2 | 0 | 67 | 14 | |||
日本 | J3 | 30 | 5 | - | 1 | 0 | 31 | 5 | |||
日本 | JFL | 41 | 0 | - | 0 | 0 | 41 | 0 | |||
日本 | 関東1部 | 31 | 13 | - | - | 31 | 13 | ||||
日本 | 関東2部 | 18 | 6 | - | - | 18 | 6 | ||||
日本 | 東京都1部 | - | 0 | 0 | |||||||
日本 | 他 | - | - | 6 | 4 | 6 | 4 | ||||
総通算 | 0 | 0 | 11 | 4 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 磐田 | 34 | 1 | 0 |
通算 | AFC | 1 | 0 |
- 2004年はユース所属
その他の公式戦
- 2013年
- J2・JFL入れ替え戦 1試合0得点
- 2021年
- JFL・地域リーグ入れ替え戦 1試合0得点
脚注
編集- ^ JPFAとは 組織 日本プロサッカー選手会 役員
- ^ 『2014シーズン キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2014年2月9日 。2014年4月27日閲覧。
- ^ 『契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)ガイナーレ鳥取、2015年1月15日 。2015年1月15日閲覧。
- ^ “一足先に”. 岡本達也オフィシャルブログ (2015年2月13日). 2015年2月13日閲覧。
- ^ “ビンビンきた言葉”. 岡本達也オフィシャルブログ (2015年3月24日). 2015年3月25日閲覧。
- ^ 2017年新体制CRIACAO 2017年2月6日
- ^ “2021年度(第55回)関東サッカーリーグ 結果&表彰”. 関東サッカーリーグ (2021年11月22日). 2022年12月4日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 岡本達也 - Soccerway.com
- 岡本達也 - FootballDatabase.eu
- 岡本達也 - WorldFootball.net
- 岡本達也 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 岡本達也 - J.League Data Siteによる選手データ
- 岡本達也オフィシャルブログ「常行一直心~チョコっと日記~」Powered by Ameba
- 岡本達也 (@tatsuya_choco) - X(旧Twitter)