岡本義住

江戸時代の武士 (1646-1679)

岡本 義住(おかもと よしずみ)は江戸時代武士

 
岡本義住
時代 江戸時代
生誕 正保3年(1646年
死没 延宝7年5月13日1679年6月21日
別名 源之亟、伊織
戒名 彩雲院融間清圓居士
墓所 東叡山寛永寺現龍院
氏族 岡本氏
父母 父:岡本義政 母:大田原晴清
兄弟 義住義治
大田原政継
能茂
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略歴

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下野国塩谷郡泉郷を領していた旗本岡本義政の子として生まれるが、生まれる2年前に父義政は改易されていたため、母方の実家である大田原氏に預けられて成長する。寛文11年(1671年)、久留米藩にお預けとなっていた義政が赦免されて、江戸上野広小路に屋敷を構えると、義住も江戸に上り、父と共に暮らす。

しかし、延宝7年(1679年5月13日、父義政よりも早く34歳という若さで没する。

参考資料

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  • 岡本氏系譜(下野史談 第八巻掲載)