岡本克己

日本の脚本家。作家。エッセイスト

岡本 克己(おかもと かつみ、1930年2月3日 - 2002年4月11日[3])は日本脚本家作家エッセイスト。大学卒業後放送局と契約し、ラジオドラマの脚本や番組の企画に携わる。その後は数多くのテレビドラマの脚本を執筆し、1980年代からは主に2時間サスペンスの脚本を多く手掛けた。作詞家の岡本おさみは実弟[4]

おかもと かつみ
岡本 克己
プロフィール
誕生日 (1930-02-03) 1930年2月3日
出身地 日本の旗 日本
鳥取県の旗 鳥取県米子市[1]
死没日 (2002-04-11) 2002年4月11日(72歳没)
死没地 東京都中央区[2]
出身校 早稲田大学
活動期間 1954年 - 2002年
主な作品
テレビドラマ
アニメ
受賞
  • 第24回芸術祭優秀賞(『走れ玩具』)
  • 第27回芸術祭優秀賞(『絆』)
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略歴

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鳥取県米子市に生まれる。1953年、早稲田大学卒業時に早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の戯曲募集で自作「木枯」が入選する[5]1954年から5年間ニッポン放送と契約し、番組の構成やラジオドラマの脚本を手掛け、1959年フジテレビ開局前の試験放送ドラマ『億万長者』でテレビドラマの脚本家としてデビューする。その後は時代劇ホームドラマなどの脚本を執筆し、1969年、脚本を手掛けた『走れ玩具』が芸術祭優秀賞を受賞。1970年1971年東映配給のアニメーション映画『海底3万マイル』、『魔法のマコちゃん』の脚本を手掛ける。1972年には、毎日放送で放送されたテレビドラマ『絆』(きずな)で再び芸術祭優秀賞を受賞した。

1980年代以降は『牟田刑事官事件ファイルシリーズ』、『浅見光彦ミステリー』『森村誠一終着駅シリーズ』など、主に2時間ドラマの脚本を数多く手掛けた。存命中は日本脚本家連盟理事長を務め[2]日本映画製作者連盟にも所属していた[6][7]

また、初めて小説として書き下ろしドラマ化された『幸福の断章』や『愛と喝采と』などの著作があり、ほかに劇団テアトル・エコーが出演した舞台の脚本なども手掛けている[5]

主な脚本

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テレビドラマ

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月曜ワイド劇場(テレビ朝日)

  • 1985年 - 特別企画『燃えて尽きたし』
  • 1986年 - 『出社拒否症になった夫』

火曜サスペンス劇場(日本テレビ)

土曜ワイド劇場(テレビ朝日)

舞台

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映画

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アニメーション

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作詞

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著作

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  • 『幸福の断章』三笠書房(1978年)
  • 『愛と喝采と』三笠書房(1979年)
  • 『岡本克己放送作品自選集』三笠書房(1980年)
  • 『セレクテッド・ラブ・ストーリーズ』 開文社出版(1990年)
  • 『現代テレビドラマ作劇法 実感的研究・三十項』映人社(1993年)

脚注

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出典

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  1. ^ 岡本克己の詳細ページ”. Ameba News. CyberAgent. 2023年6月25日閲覧。
  2. ^ a b 岡本克己氏死去/日本脚本家連盟理事長”. SHIKOKU NEWS. 四国新聞社. 2023年6月25日閲覧。
  3. ^ 岡本克己(脚本家)の経歴,関連情報”. 誕生日データベース. 2023年6月24日閲覧。
  4. ^ あの素晴らしい〈フォークソング〉をもう一度<岸田敏志「きみの朝」>売れたきっかけは十朱幸代とのラブシーン”. Asagei Plus(アサヒ芸能). 徳間書店. 2023年6月25日閲覧。
  5. ^ a b 岡本 1993, p. 343
  6. ^ 信託者検索・名簿|50音検索”. 日本脚本家連盟 WRITERS GUILD OF JAPAN. 2023年6月24日閲覧。
  7. ^ スタッフ一覧(脚本・あ行)|50音検索”. 一般社団法人日本映画製作者連盟. 2023年6月25日閲覧。
  8. ^ 『万作を観る会〜楢山節考』11月国立能楽堂で”. 能楽タイムズ. 能楽書林. 2023年7月26日閲覧。
  9. ^ ザ・ピーナッツ 云えなかったの 歌詞”. 歌ネット. 2023年6月25日閲覧。
  10. ^ 奥村チヨ – 云えなかったの”. Discogs. 2023年7月26日閲覧。

参考資料

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  • 岡本克己『現代テレビドラマ作劇法』映人社、1993年10月。ISBN 4-87100-219-5 

関連項目

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外部リンク

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