岡幸俊
岡 幸俊(おか ゆきとし、1970年5月31日 - )は、高知県土佐清水市出身[1]の元プロ野球選手(投手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 高知県土佐清水市 |
生年月日 | 1970年5月31日(54歳) |
身長 体重 |
174 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手、外野手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト2位 |
初出場 | 1989年4月8日 |
最終出場 | 1990年4月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集小学4年生から野球を始め、中学で投手となる[1]。高知商業高時代は、最速145kmの速球やカーブ、シュートを武器に3年次の1988年に春のセンバツと夏の選手権と春夏連続で甲子園大会にも出場[1]。同年のプロ野球ドラフト会議において2位指名で5球団(ヤクルト、広島、巨人、ロッテ、ダイエー)が競合、ヤクルトスワローズが引き当て入団[1]。
1989年は開幕一軍入りを果たし、主にリリーフとして22試合に登板する。
1990年、右肘を故障[2] 、一軍登板は1試合のみに終わる。
1991年はMLBの1A・サリナス・スパーズに野球留学したが、一軍登板は無かった。 以降は3度の右肘手術も回復には至らず[2]。
1994年から外野手に転向するも一軍出場はなかった(ただし、投手時代の1989年に一軍での安打は記録している)。
現在は、地元高知で中四国丸和ロジスティクスに勤務し[2]、その傍ら野球講師として活動中。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1989 | ヤクルト | 22 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 171 | 37.2 | 45 | 7 | 21 | 1 | 0 | 24 | 2 | 0 | 24 | 21 | 5.02 | 1.75 |
1990 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 3.0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.33 | |
通算:2年 | 23 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 185 | 40.2 | 47 | 7 | 26 | 1 | 0 | 24 | 2 | 0 | 24 | 21 | 4.65 | 1.80 |
記録
編集- 初登板:1989年4月8日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、8回裏2死に5番手で救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に中尾孝義から
- 初先発:1989年9月11日、対中日ドラゴンズ20回戦(ナゴヤ球場)、3回6失点で敗戦投手
背番号
編集- 19(1989年 - 1992年)
- 55(1993年 - 1995年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 岡幸俊 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB