山縣有道

日本の宮内官、政治家、華族。公爵。貴族院議員。(1888-1945)

山縣 有道(山県 有道、やまがた ありみち、1888年明治21年〉2月23日[1] - 1945年昭和20年〉9月8日[1][2])は、日本の宮内官、政治家華族位階勲等爵位正三位勲三等公爵。前名・辰吉[1]

山縣 有道
やまがた ありみち
貴族院公爵議員・山縣有道
生年月日 1888年2月23日
没年月日 (1945-09-08) 1945年9月8日(57歳没)
出身校 東京外国語学校
チュービンゲン大学
前職 侍従式部官
所属政党 火曜会
称号 正三位
勲三等
公爵
配偶者 山縣鞭子
子女 長男・山縣有信
長女・日笠美枝子
次女・北沢美智子
親族 大叔父・山縣有朋(内閣総理大臣)
祖父・加藤弘之(枢密顧問官)
父・山縣伊三郎(逓信大臣)
伯父・加藤照麿(貴族院議員)
叔父・馬渡俊雄(福島県知事)
弟・山縣三郎(栃木県知事)
従弟・加藤成之(貴族院議員)
従弟・濱尾四郎(貴族院議員)
従弟・京極高鋭(貴族院議員)
宗教 浄土真宗

選挙区公爵議員
在任期間 1927年11月15日 - 1945年9月8日
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経歴

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内務官僚山縣伊三郎山縣有朋養嗣子)、隆子夫妻の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い1927年(昭和2年)11月15日、公爵を襲爵し[1]貴族院公爵議員に就任[2][4][5]火曜会に所属して死去するまで在任した[2][6]

1912年(明治45年)東京外国語学校ドイツ語本科を卒業し、同年ドイツ帝国に留学[2][3]チュービンゲン大学で造林学を専攻していたが、1914年(大正3年)のドイツ国交断絶により帰国、祖父・有朋が始めた栃木県那須野の山縣農場を主宰する[7]1922年(大正11年)以降、侍従式部官などを歴任[2]歌御会始読師も務めた[2]

栄典

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親族

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  • 母:山縣隆子(たかこ、1867–1931) - 加藤弘之長女[1]
  • 妻:山縣鞭子(むちこ、1895–1965) - 前田利同二女[1]学習院女学部卒業後、1916年に田中義一媒酌により結婚[7]
    • 長女:山縣美枝子(みえこ、1917–1983) - 都築忠春夫人(後に日笠百勝と再婚)
    • 長男:山縣有信(ありのぶ、1918–1974) - 矢板市長、公爵[1]
      • 孫:有德(1948/10/4生[8])
        • 曾孫:有茂(1979/4/7生[8])
        • 曾孫:有孝(1983/8/4生[8])
      • 孫:眞紀子(竹内鉱二夫人、1951/1/24生[8])
      • 孫:由紀子(1953/6/30生[8])
    • 次女:山縣美智子(みちこ、1923–1973) - 北沢仁夫人

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、777-778頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』12頁。
  3. ^ a b 『人事興信録』第14版下、ヤ60頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、37頁。
  5. ^ 『官報』第267号、昭和2年11月17日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、53頁。
  7. ^ a b 『朝日新聞の記事にみる恋愛と結婚』243頁。
  8. ^ a b c d e 平成新修旧華族家系大成下p777-778

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』第14版下、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 朝日新聞社編『朝日新聞の記事にみる恋愛と結婚 明治・大正』朝日新聞社〈朝日文庫〉、1997年。


日本の爵位
先代
山縣伊三郎
公爵
山縣(有朋)家第3代
1927年 - 1945年
次代
山縣有信