山田揆一
山田 揆一(やまだ きいち、弘化4年(1847年) - 大正12年(1923年)1月5日)は、大正時代に仙台市長を務めた人物である。
山田 揆一 やまだ きいち | |
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生年月日 | 1847年 |
出生地 | 陸奥国 (現在の岩手県) |
没年月日 | 1923年(大正12年)1月5日 |
在任期間 | 1915年5月25日 - 1919年5月24日 |
略歴
編集陸奥国一関(現在の岩手県)に、藩士・櫻岡頼純の4子として生まれた[1]。官吏となり、宮城県収税長[2]、熊本県税務管理局長・司税官[3]、宮城県書記官、北海道内務部長などを歴任の後、1915年(大正4年)から1919年(大正8年)まで、仙台市長を務めた。
仙台市青葉区にある宮城県知事公館の土地・建物は、もともと伊達家家臣の邸宅だったものであるが、明治維新後の1868年(明治元年)、山田が購入した[4][5]。また、山田は1917年(大正6年)、仙台に関する総覧『仙台叢書』の別冊、『仙台物産沿革』を編集した。