1941年大阪大学医学部卒[1]。海軍軍医学校軍医科69期14班班長を務めた後太平洋戦争中は日本海軍の軍医として転戦[1]。1949年大阪大学医学博士。「結核菌の安息香酸代謝に就て」。1956年に国立刀根山病院内科医長、1957年に九州大学医学部生化学教授、1962年に大阪大学医学部教授、1967年に同大学医学部長、1979年から1985年まで大阪大学総長を務めた[1]。
癌の免疫療法であるBCG-CWSを作る。
この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 |