山形市立商業高等学校
山形県山形市にある高等学校
山形市立商業高等学校(やまがたしりつ しょうぎょうこうとうがっこう、英: Yamagata Civic Commercial High School)は、山形県山形市あかねヶ丘にある市立商業高等学校。1918年(大正7年)創立で、県内唯一の市立高[1]。文部科学省スーパーイングリッシュランゲージハイスクール(SELHi)に指定されている。
山形市立商業高等学校 | |
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北緯38度15分2.9秒 東経140度18分43.2秒 / 北緯38.250806度 東経140.312000度座標: 北緯38度15分2.9秒 東経140度18分43.2秒 / 北緯38.250806度 東経140.312000度 | |
過去の名称 |
市立山形商業学校 市立山形工業学校 市立山形商業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形市 |
併合学校 | 市立山形女子商業高等学校 |
校訓 | 輸誠(ゆせい) |
設立年月日 | 1918年(大正7年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
総合ビジネス科 経済科 情報科 |
学科内専門コース |
(総合ビジネス科) 流通ビジネスコース 情報ビジネスコース 会計ビジネスコース |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D106220150016 |
高校コード | 06107H |
所在地 | 〒990-2481 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集「総合ビジネス科」「経済科」「国際コミュニケーション科」の3学科があり、日商簿記検定など各種検定の取得に強く就職率も高いが、卒業後は約半数が大学に進学。指定校推薦なども多数あり、経済科の進学率は約90%(将来目標100%)[2]。“高いレベルで就職も進学もできる商業高校”として関係者から高い評価を得ているといい、学校として「日本一の商業高校をめざす!」としている[1]。
略称は「山形商業」、「山商」(やましょう)。山形市近辺では「商業」とも呼ばれている。
また、校舎などを約105億円の総事業費をかけPFI方式で全面改築。食堂と図書館を一体的に活用する「ラーニング・コモンズ」(多目的)も設置される[3]。
沿革
編集年表
編集- 1918年(大正7年) - 4月1日、甲種商業学校「市立山形商業学校」として設置認可[4]
- 1924年 - 6月27日、十日町より小荷駄町に移転
- 1944年(昭和19年) - 3月31日、「市立山形工業学校」に転換。市立山形工芸学校を併置
- 1946年 - 3月31日、市立山形工芸学校廃校
- 1948年 - 3月10日、学制改革により新制高校「市立山形商業高等学校」設置
- 1951年 - 3月31日、市立山形商業高等学校廃校。4月1日、市立山形商業高等学校と市立山形女子商業高等学校を統合し、新たに「山形市立商業高等学校」を設置
- 1960年 - 9月27日、財団法人長谷川学事奨励基金設立
- 1975年 - 4月21日、小荷駄町よりあかねヶ丘に移転
- 2004年(平成16年) - 文部科学省よりSELHi(スーパーイングリッシュランゲージハイスクール)に指定[5]
基礎データ
編集交通アクセス
編集鉄道
編集校章
編集- 校章:マーキュリー
校訓
編集- 校訓:輸誠(ゆせい)
授業
編集設置学科
編集- 2年次からのコース制となっており、流通ビジネスコース、情報ビジネスコース、会計ビジネスコースに分かれる。流通ビジネスコースは全商商業経済検定1級、情報ビジネスコースは全商情報処理検定1級(ビジネス情報部門)、会計ビジネスコースは全商簿記検定1級をそれぞれ2年次の冬期に取得することを目標としている。(ただし選択したコースに関係なく、他の検定種目もそれに関する選択科目の授業を受けたり自主学習をしたりすることなどによって自由に取得することができる)
- 経済科
- 国際コミュニケーション科
その他
編集高等学校必履修科目未履修問題で、日本史もしくは地理と倫理の授業を政治経済に割り当てている、大学への推薦書類で未履修科目に成績をつけている、などの履修不足が問題化した。
部活動
編集部活動では、女子バスケットボール部が2011年(平成23年)ウィンターカップ準優勝、女子バレーボール部の春の高校バレー出場のほか、レスリング部が全国有数の強さを誇り、好結果を残している。
- 運動部
- 硬式野球部、男子ソフトテニス部、男子バスケットボール部、男子卓球部、サッカー部、女子ソフトテニス部、女子バスケットボール部、女子卓球部、スキー部 男子バレーボール部、男子器械体操部、男子剣道部、レスリング部、女子バレーボール部、女子器械体操部、女子剣道部、男子陸上競技部、男子バドミントン部、ソフトボール部、女子陸上競技部、女子バドミントン部
- 文化部
- 文芸部、新聞部、英語部、書道部、茶道部、美術部、演劇部、タイピング部、家庭部、吹奏楽部、簿記部、コンピュータ部、放送部、ボランティア部、ハーモニカバンド部、産業調査部
- 同好会、その他
- 華道愛好会、応援団
友好校
編集主な卒業生
編集バスケットボール
編集- 大沼美咲 - バスケットボール選手
- 大沼美琴 - バスケットボール選手
- 加藤臨 - バスケットボール選手
- 長南真由美 - バスケットボール選手
- 仲野由真 - バスケットボール選手
- 高田静 - バスケットボール選手
バレーボール
編集経済
編集文化
編集芸能
編集その他
編集- 市川昭男 - 元山形市長
- 笹原正三 - 日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。メルボルン五輪金メダリスト(アマチュアレスリング選手)
ゆかりの人物
編集歴代校長
編集初代 | 渡辺徳太郎 | (大正7年4月30日 - 昭和8年9月30日) |
第2代 | 住登勝蔵 | (昭和8年11月27日 - 昭和16年12月27日) |
第3代 | 川村平七 | (昭和17年2月21日 - 昭和19年2月3日) |
第4代 | 今田実 | (昭和19年3月31日 - 昭和21年3月31日) |
第5代 | 矢部一郎 | (昭和21年4月1日 - 昭和23年11月4日) |
第6代 | 岩掘庄作 | (昭和24年2月28日 - 昭和27年3月31日) |
第7代 | 関原吉雄 | (昭和27年4月1日 - 昭和31年3月31日) |
第8代 | 金森一平 | (昭和31年4月1日 - 昭和36年3月31日) |
第9代 | 中山二郎 | (昭和36年5月16日 - 昭和39年3月31日) |
第10代 | 庄司徳治 | (昭和39年4月1日 - 昭和39年8月31日) |
第11代 | 遠藤修平 | (昭和39年9月1日 - 昭和46年3月31日) |
第12代 | 田口勝海 | (昭和46年4月1日 - 昭和48年3月31日) |
第13代 | 高山法彦 | (昭和48年4月1日 - 昭和52年3月31日) |
第14代 | 軽部晋四郎 | (昭和52年4月1日 - 昭和53年3月31日) |
第15代 | 後藤孝夫 | (昭和53年4月1日 - 昭和57年3月31日) |
第16代 | 高橋秀 | (昭和57年4月1日 - 昭和60年3月31日) |
第17代 | 大内和雄 | (昭和60年4月1日 - 昭和62年3月31日) |
第18代 | 西塚常弥 | (昭和62年4月1日 - 平成5年3月31日) |
第19代 | 山口隆司 | (平成5年4月1日 - 平成7年3月31日) |
第20代 | 田口健一 | (平成7年4月1日 - 平成9年3月31日) |
第21代 | 庄司昌弘 | (平成9年4月1日 - 平成12年3月31日) |
第22代 | 濱田卓良 | (平成12年4月1日 - 平成15年3月31日) |
第23代 | 角川信一郎 | (平成15年4月1日 - 平成18年3月31日) |
第24代 | 相馬周一郎 | (平成18年4月1日 - 平成20年3月31日) |
第25代 | 今野清 | (平成20年4月1日 -平成24年3月31日 |