山崎治祇
日本の江戸時代後期~明治時代後期の大名・知藩事。備中成羽藩初代藩主山崎治正長男で、成羽藩2代藩主。従五位下志摩守
山崎 治祇(やまざき はるよし)は、備中国成羽藩2代藩主。官位は従五位下・志摩守。
山崎治祇 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 安政2年4月12日(1855年5月27日) |
死没 | 明治42年(1909年)12月5日 |
改名 | 寿丸、治祇 |
官位 |
従五位下・志摩守 正四位 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 備中成羽藩主 |
氏族 | 近江山崎氏 |
父母 | 山崎治正、細川行芬娘 |
兄弟 | 治祇、織田信親、治敏、京極寿吉、徳子ら |
略歴
編集初代藩主・山崎治正の長男として誕生した。幼名は寿丸。
明治2年(1869年)正月晦日、父治正の隠居により家督を継ぐ。同年2月8日、従五位下・志摩守に叙任する。同年6月23日、版籍奉還により知藩事となる。同年7月4日、明治天皇に拝謁する。明治4年(1871年)4月10日、藩知事を辞職する。同年4月12日、隠居し、弟の治敏に家督を譲った。明治42年(1909年)12月5日に55歳で死去した。