山地坦
日本の陸軍軍人
山地 坦(やまじ ひろむ、1885年(明治18年)3月24日[1] - 1952年(昭和27年)4月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[2]
山地 坦 | |
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生誕 |
1885年3月24日 日本 香川県 |
死没 | 1952年4月1日(67歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1941年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1885年(明治18年)に香川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第19期卒業[1]。1932年(昭和7年)に陸軍歩兵学校教官に就任し[2]、1933年(昭和8年)に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1934年(昭和9年)に戦車第1連隊長に転じ[2]、1936年(昭和11年)に陸軍歩兵学校教官に戻る[2]。1937年(昭和12年)に陸軍少将に進級し[2]、仙台陸軍教導学校長に転じる[1]。
1938年(昭和13年)に新設された歩兵第111旅団長に就任し[1]、日中戦争に出動[1]。一時は全滅寸前まで追い込まれたが危機を脱し[1]、南昌作戦で大なる戦果を収めた[1]。その後華南に転じ、汕頭で掃討戦に当たった[1]。1940年(昭和15年)に陸軍中将に進級し[2]、下関要塞司令官に就任[1]。1941年(昭和16年)10月15日に待命[1]、10月30日に予備役編入[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。