山名義豊
日本の江戸時代前期の武士・歌人。江戸幕府旗本。交代寄合山名豊政の子。御書院番を勤める。歌人としては本多重世(飛鳥井雅章門下で妹婿)に師事
時代 | 江戸時代前記 |
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生誕 | 元和9年(1623年) |
死没 | 元禄7年11月25日(1695年1月10日) |
改名 | 光豊(初名)→義豊 |
別名 | 左京、隼人(通称)、玉山(号) |
幕府 | 江戸幕府旗本(書院番士) |
氏族 | 山名氏 |
父母 | 父:山名豊政 |
兄弟 | 矩豊、安千代、義豊、本多重世室 |
子 | 豊就(3男) |
大身旗本で交代寄合の山名豊政の子。旗本として書院番を務める。飛鳥井雅章の門人で、妹婿の本多重世に師事し2万5千首を詠んだといわれているが、伝わっていない。江戸の武家の歌人の私撰集の編纂を発意した。しかしその夢は存命中には果たせず、従弟の戸田茂睡が遺志を継ぎ「鳥の迹」として編纂した。なお、全830首のうちの3割以上が彼の歌が占めている。子孫は300俵の旗本として存続した。