山口華楊
1899-1984, 日本画家
山口 華楊(やまぐち かよう、1899年10月3日 - 1984年3月16日)は、日本画家。京都府京都市中京区生まれ。 西村五雲に師事。帝展入選8回、特選2回[1]。 写生中心の画風で、動物画を得意とした。本名は米次郎。画壇に貢献。色鮮やかな背景に描く花鳥画は今でも人の目を引く。
略歴
編集- 1912年(明治45年/大正元年) - 西村五雲に師事
- 1919年(大正8年) - 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業
- 1926年(大正15年/昭和元年) - 同校教員
- 1938年(昭和13年) - 画塾晨鳥社を主宰
- 1951年(昭和26年) - 京都日本画家協会理事長
- 1956年(昭和31年) - 日本芸術院賞受賞
- 1958年(昭和33年) - 日展評議員
- 1969年(昭和44年) - 日展理事
- 1971年(昭和46年) - 京都市文化功労者、日本芸術院会員
- 1973年(昭和48年) - 勲三等瑞宝章受章
- 1975年(昭和50年) - 日展顧問
- 1980年(昭和55年) - 文化功労者
- 1981年(昭和56年) - 文化勲章受章
- 1982年(昭和57年) - 京都市名誉市民[2]
- 1984年(昭和59年) - 3月16日、京都市にて死去。従三位に叙せられる
著書・画集
編集門下
編集脚注
編集- ^ 山口華楊『出身県別 現代人物事典 西日本版』p460 サン・データ・システム 1980年
- ^ “京都市名誉市民 山口米次郎(やまぐち よねじろう)氏[山口華楊]”. 京都市. 2022年9月17日閲覧。
外部リンク
編集- 山口華楊 - 京都市立芸術大学芸術資料館