山口 恒則(やまぐち つねのり、1908年3月11日 - 1994年8月12日)は、日本経営者四国電力社長、会長を務めた[1]愛媛県北宇和郡広見町(現在の鬼北町)出身[1]

経歴

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1933年京都帝国大学法学部を卒業し、1936年伊予鉄道電気に入社[1]1942年、四国配電(現在の四国電力)に転じる。1961年、取締役に就任し、1964年に常務、1966年に副社長を経て、1974年、社長に就任[1]1981年、会長に就任し、1988年6月には相談役に就任[1]経済団体連合会常任理事、四国経済連合会会長、四国旅客鉄道取締役相談役なども歴任[1]

1994年8月12日心不全のために死去[2]。86歳没。

栄誉

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 「現代物故者事典 1994-1996 p585」
  2. ^ 1994年 8月12日 日本経済新聞 夕刊 p13
先代
大内三郎
四国電力社長
1974年 - 1981年
次代
平井滋二