山口弘敞
山口 弘敞(やまぐち ひろあきら)は、常陸牛久藩の第11代藩主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化9年(1812年) |
死没 | 文久2年6月14日(1862年7月10日) |
改名 | 孝之助(幼名)、房之助、監物、重光、弘敞 |
戒名 | 大道義雄弘敞院 |
墓所 | 東京都港区南麻布の曹渓寺 |
官位 | 従五位下、筑前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 常陸国牛久藩主 |
氏族 | 山口氏 |
父母 |
父:山口弘致、母:不詳 養父:山口弘穀 |
兄弟 | 弘封、弘穀、弘敞、天野重教 |
妻 | 正室:本多忠升の娘 |
子 |
弘達、娘 養女:(天野重教娘・松平浪之助室) |
文化9年(1812年)、第8代藩主・山口弘致の四男として生まれる。嘉永2年(1849年)12月18日、兄で第10代藩主の弘穀が嗣子無くして死去したため、その養子となって跡を継いだ。嘉永3年3月15日、将軍徳川家慶にお目見えする。同年12月16日、従五位下筑前守に叙任する。
藩政においては兄と同じように藩財政再建のため、新田開発や干鰯の貸付を奨励するなどした改革を行い、成功させている。文久2年(1862年)6月14日に死去した。享年51。跡を長男の弘達が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 源 ー 本多忠升の娘
子女
- 山口弘達(長男)生母は源(正室)
養女