山口定省
山口 定省(やまくち さだみ[1]、やまぐち ていせい[2]、1858年3月18日(安政5年2月4日[3]) - 1926年(大正15年)1月20日[4])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
編集若狭国遠敷郡和久里村(のち福井県遠敷郡今富村、現・小浜市)に小浜藩士山口甚太夫の子に生まれる[3]。農業を営み[4]、学務委員[4]、和久里村戸長、今富村長、福井県会議員、同参事会員、遠敷郡会議員、同参事会員、福井農工銀行取締役、若越新聞社長となる[3]。また、朝鮮で貿易業に従事する[4]。
1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において福井4区から憲政党公認で立候補して当選する[5]。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1926年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。