山口則幸
日本のアナウンサー
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2022年4月) |
山口 則幸(やまぐち のりゆき、1970年5月5日[2] - )は、東日本放送 (khb) の元アナウンサー。
やまぐち のりゆき 山口 則幸 | |
---|---|
プロフィール | |
出身地 | 日本 岩手県浄法寺町 |
生年月日 | 1970年5月5日(54歳) |
血液型 | O型[1] |
最終学歴 | 早稲田大学卒業 |
勤務局 | 東日本放送 |
職歴 |
東日本放送アナウンサー 東日本放送報道部編集長 東日本放送編成部長 東日本放送アナウンサー |
活動期間 | 1994年 - |
ジャンル | 報道番組 |
担当番組・活動 | |
出演経歴 |
『KHBステーションEYE』 『KHBニュースチャンネル』 『スーパーJチャンネルみやぎ』 |
来歴
編集岩手県二戸郡浄法寺町(現・二戸市)出身[2]。早稲田大学を卒業後[1]、1994年に東日本放送に入社。
アナウンサー時代には、14年半にわたって夕方のローカルニュースに出演[3]。2009年3月に『スーパーJチャンネルみやぎ』のキャスターを卒業して報道部の編集長になり[4][5]、アナウンサー時代から兼務していたデスク業務に専念していた[3]。東日本大震災の発生後には、震災関連の報道にも携わっていた[4][5][6]。
2016年2月からは編成部長を務めていたが[7]、2021年6月にアナウンス室ならびに報道部へ再異動となり、報道デスクをしながらアナウンサーも兼務していた[8][9]。
アナウンサー時代の担当番組
編集- KHBステーションEYE[2]
- KHBニュースチャンネル[1]
- 夕方ワイドあなたにCue! - 『KHBニュース』キャスター[10]
- うじきつよしのワンダーポケット - ナレーター[11][12]
- スーパーJチャンネルみやぎ - キャスター[3]
脚注
編集- ^ a b c “山口 則幸”. Announcers. 東日本放送. 1997年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月6日閲覧。
- ^ a b c 「うちの局アナ/東日本放送 山口則幸アナ&安田佑子アナ」『とうほく財界 : 東北ビジネスの総合情報誌』第21巻第3号、東日本出版、1995年5月1日、69頁、NDLJP:2886261/38。
- ^ a b c 山口則幸 (2009年3月22日). “#051 秒読み&準備中”. 編集長の小部屋. 東日本放送. 2011年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月6日閲覧。
- ^ a b “写真で見る第 13 回学会大会” (PDF). 学会大会. 日本災害情報学会. p. 3 (2011年). 2024年1月6日閲覧。ダウンロード元ページ:http://www.jasdis.gr.jp/01gakkai_taikai/index.html
- ^ a b “【ドキュメント動画】あの日、メディアで起きていたこと”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2021年3月11日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “検索結果 テレメンタリー2011 “3.11”を忘れない3 津波を撮ったカメラマン 〜生と死を見つめた49日間〜”. 放送ライブラリー. 放送番組センター (2011年6月8日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “KHB、2月人事異動で山口則幸編成部長”. 文化通信.com. 文化通信社. 2024年1月6日閲覧。
- ^ 山口則幸 (2021年7月9日). “某月某日の記録”. 某月某日の記録. 東日本放送. 2022年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月6日閲覧。
- ^ 山口則幸 (2021年9月1日). “再デビュー”. 某月某日の記録. 東日本放送. 2022年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月6日閲覧。
- ^ “KHBニュース”. 東日本放送. 2001年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月6日閲覧。
- ^ “検索結果 うじきつよしのワンダーポケット 春スペシャル みんなのナゼに答えます(1)”. 放送ライブラリー. 放送番組センター (2004年3月19日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “検索結果 うじきつよしのワンダーポケット 春スペシャル みんなのナゼに答えます(2)”. 放送ライブラリー. 放送番組センター (2004年3月26日). 2024年1月6日閲覧。
外部リンク
編集- 山口則幸 | khb東日本放送 - ウェイバックマシン(2022年8月14日アーカイブ分)