山口健作
日本の作曲家、長崎大学名誉教授 (1917-2012)
山口 健作(やまぐち けんさく、1917年4月28日[1] - 2012年7月25日[2])は、昭和時代中期から平成時代日本の作曲家。長崎大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 |
1917年4月28日[1] 日本 長崎県長崎市 |
死没 | 2012年7月25日(95歳没)[2] |
出身校 | 東京音楽学校甲種師範科 卒業 |
学問 | |
時代 | 昭和中期 - 平成 |
研究分野 | 音楽、教育学 |
研究機関 | 長崎大学 |
主要な作品 | 長崎県民歌「南の風」(1961年) |
来歴
編集長崎市出身[1]。1938年(昭和13年)4月に東京音楽学校甲種師範科に入学[3]。下総皖一[1][4]、城多又兵衛[4]、伊藤武雄[4]、今井治郎[5]らの師事を仰ぐ。1941年(昭和16年)3月に同校を卒業後[6]、台湾に渡り台中師範学校に赴任[7]。終戦後に帰郷し、長崎師範学校教諭に就く[5]。
戦後は学制改革により長崎大学学芸学部助教授となり[8]、1961年(昭和36年)制定の県民歌「南の風」を始め県内各地の校歌を作曲、教育学部名誉教授に至る。
2012年(平成24年)7月25日死去[2]。享年96(満95歳没)。
主な作品
編集校歌
編集- 長崎県立大崎高等学校校歌
- 長崎県立鹿町工業高等学校校歌
- 長崎大学教育学部附属中学校校歌
- 大村市立郡中学校校歌
- 松浦市立福島中学校校歌[12]
- 諫早市立小野中学校校歌
- 雲仙市立川床中学校校歌
- 川棚町立川棚中学校校歌
- 旧壱岐市立初山中学校校歌
- 長崎市立脇岬小学校校歌
- 平戸市立根獅子小学校校歌
- 佐世保市立猪調小学校校歌
- 東彼杵町立千綿小学校校歌
- 川棚町立石木小学校校歌
- 旧松浦市立養源小学校校歌[13]
参考文献
編集- 「山口 健作」『音楽年鑑 昭和25年版』音楽之友社、1949年、134頁。 NCID BN11185209。NDLJP:2471908 。
- 「山口 健作」『音楽年鑑 昭和42年版』音楽之友社、1966年、292頁。 NCID BN0029282X。NDLJP:2526520 。
- 「山口 健作」『音楽年鑑 昭和45年版』音楽之友社、1970年、274頁。 NCID BN0029282X。NDLJP:2526523 。
- 『福島町郷土誌』福島町役場、1980年。 NCID BN03202776。NDLJP:9773385。
- 岡部芳広『植民地台湾における公学校唱歌教育』(明石書店、2007年) ISBN 978-4-7503-2497-5
出典
編集- ^ a b c d 音楽年鑑 1970.
- ^ a b c 『長崎新聞』2012年7月27日、27面。
- ^ 大蔵省印刷局 編「入学許可」『官報』3393号、日本マイクロ写真、1938年4月28日、997頁。NDLJP:2959884 。
- ^ a b c 音楽年鑑 1966.
- ^ a b 音楽年鑑 1949.
- ^ 東京音楽学校 編「第14 卒業生及修了生」『東京音楽学校一覧補遺 自昭和十六年 至昭和十七年』東京音楽学校、1943年、228頁。NDLJP:1461273 。
- ^ 岡部(2007), p165
- ^ 大学基準協会大学関係等調査委員会 編「長崎大学」『大学総覧 昭和38年度』大学基準協会、1964年、771頁。NDLJP:9668782 。
- ^ “長崎県民歌「南の風」”. 長崎県. 2023年8月21日閲覧。
- ^ 靏田伊三男 (2005年4月). “いいたか放題 大学歌を歌おう”. 長崎大学広報紙CHOHO. 長崎大学. 2023年8月20日閲覧。
- ^ 金園社編集部 編「長崎大学学生歌」『校歌・寮歌・応援歌集 : 懐しの歌ごえ』金園社、1957年、151頁。NDLJP:2483556 。
- ^ 福島町(1980), p768
- ^ 福島町(1980), p751