山内首藤俊通
平安時代後期の武将。山内首藤氏の祖
山内首藤 俊通(やまのうちすどう としみち)は、平安時代後期の武将。山内首藤氏の祖。通称は滝口刑部丞。
時代 | 平安時代末期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 平治元年12月28日(1160年2月7日) |
別名 | 滝口刑部丞[1] |
官位 | 刑部丞 |
主君 | 源義朝 |
氏族 | 秀郷流首藤氏 |
父母 | 父:首藤義通[1] |
妻 | 山内尼、摩々局 |
子 | 俊綱[2]、俊秀[2]、経俊[2]、家通[2]、俊弘[2] |
生涯
編集相模国出身で藤原秀郷の後裔を称する。曾祖父の首藤資通は、幼少時は奥州に12年居住し、前九年の役・後三年の役で源義家に従った。俊通は首藤義通の子で、幼少時は奥州に12年居住し、相模国山内荘を本拠として山内首藤氏を称し、源義朝に従って保元の乱・平治の乱に参戦したが、平治元年(1159年)12月28日、京都の四条河原で平家方に討たれた。
脚注
編集- ^ a b 安田元久編修 1990, p. 630.
- ^ a b c d e 田村哲夫編修 1980, p. 125.