屋代忠興
日本の江戸時代前期の大名。駿河駿府藩家老朝倉宣正四男で、安房北条藩初代藩主屋代忠正養子。北条藩2代藩主
屋代 忠興(やしろ ただおき)は、安房北条藩の第2代藩主。朝倉宣正の四男。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和5年(1619年) |
死没 | 寛文3年1月6日(1663年2月13日) |
改名 | 甚三郎(幼名) |
戒名 | 春光院殿性澄海雲大居士 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の吉祥寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 安房北条藩主 |
氏族 | 朝倉氏→屋代氏 |
父母 | 父:朝倉宣正、養父:屋代忠正 |
兄弟 | 牧野儀成正室、朝倉宣親、朝倉正世、朝倉宣季、忠興、朝倉正高、伊東祐豊正室、加藤明利正室 |
妻 | 正室:葉室頼孝の娘 |
子 | 養子:忠位、屋代忠位正室 |
寛永4年(1627年)、先代藩主の屋代忠正の養嗣子となる。寛文2年(1662年)、養父の死去により跡を継ぐが、翌年正月6日に45歳で死去した。家督は甥で養嗣子の忠位が継いだ。