尾見半左右
尾見 半左右(おみ はんぞう、1901年4月5日 - 1985年1月30日)は、日本の通信技術者[1]。富士通の常務取締役、電気通信学会及び情報処理学会の会長などを歴任[1]。
略歴
編集茨城県真壁郡明野に生誕。1923年、東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業[2]。南満州鉄道の鉄道研究所に入社し、電気通信の研究に従事する。1936年、富士通信機製造株式会社に入社。情報・通信の技術開発・研究に従事し、同社の取締役、常務取締役、富士通研究所の代表取締役社長などを歴任[1]。その他、鉄道通信協会の副会長、電気通信学会会長、情報処理学会会長、神戸工業株式会社の取締役社長、富士電機化学株式会社の代表取締役社長なども務めた[1]。
経歴
編集1953年 - 常務取締役
1960年 - 専務取締役
1961年 - 専務取締役、同社電子工業部長兼富士通工業専門学校長
1964年 - 神戸工業(現:デンソーテン)社長(1968年に同社と富士通の合併を実現)
1968年 - 富士通研究所を設立し、初代社長となる
1972年 - 富士通とアムダールの提携を実現
1973年 - 情報処理学会会長
1973年9月 - 「電子計算機の巨大化の限界に関する研究」で工学博士号を取得(東京工業大学)[4]
主な受賞等
編集1958年12月 - 毎日工業技術賞
1964年5月 - 藍綬褒章
1971年11月 - 勲三等瑞宝章
1979年4月 - IEEEファウンダーズメダル
1985年2月 - 逝去後、正五位に叙される
出典
編集- ^ a b c d e f g 山本, 卓眞「元会長 尾見半左右博士を偲ぶ」『情報処理』第26巻第5号、1985年、447-448頁。
- ^ a b “尾見 半左右-コンピュータ博物館”. museum.ipsj.or.jp. 情報処理学会. 2020年12月16日閲覧。
- ^ 尾見, 半左右「会長就任あいさつ」『電気通信学会雑誌』第45巻第7号、電気通信学会、1962年7月、865-866頁。
- ^ 尾見半左右「電子計算機の巨大化の限界に関する研究」東京工業大学博士論文、1973年
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