尾川正二
尾川 正二(おかわ まさつぐ、1917年(大正6年)4月28日 - 2009年(平成21年)3月5日)は、旧朝鮮生まれ[1]の国文学者である。
経歴
編集京城帝国大学国文科卒業[要出典]。太平洋戦争の徴兵により1943年から敗戦まで東部ニューギニア戦線に送り込まれる。復員帰国後の1946年、父祖の地・広島市で療養[要出典]。1947年から1955年まで山陽高等学校の国語教師を務める[要出典]。当時の生徒には戦場体験を語ることはなかったという[要出典]。
広島大学大学院国文研究科修了[要出典]。後に芦屋市に転居[要出典]。関西学院高等部の国語教師を務め、関西学院大学社会学部で「国語表現論」を講義する[要出典]。
戦場での体験をまとめた『極限のなかの人間』で、1970年に第1回大宅壮一ノンフィクション賞受賞[1]。関西学院大学、桃山学院大学、梅花短期大学(現梅花女子大学短期大学部)教授を歴任した[要出典]。
著作
編集- 『極限のなかの人間―極楽鳥の島』国際日本研究所・創文社、1969年
- 『極限のなかの人間―「死の島」ニューギニア』筑摩書房・筑摩叢書、1983年
- 『「死の島」ニューギニア―極限のなかの人間』光文社NF文庫、1998年、新装版2004年、改訂新版2024年
- 『野哭―ニューギニア戦記』創元社・創元新書、1972年
- 『東部ニューギニア戦線―棄てられた部隊』図書出版社、1992年
- 『東部ニューギニア戦線―棄てられた部隊』光文社NF文庫、2002年
- 『戦争 虚構と真実』光人社、2000年
- 『戦争 虚構と真実 冷徹なる戦争論』光人社NF文庫、2013年
- 『帝国陸軍の教育と機構』新風舎、2003年
- 以下は国語関連
- 『文章表現入門』創元新書、1974年
- 『原稿の書き方』講談社現代新書、1976年
- 『文章の書き方』講談社現代新書、1982年
- 『文章のかたちとこころ 書くということ』筑摩書房、1989年/ちくま学芸文庫、1995年
脚注
編集- ^ a b “尾川正二氏死去/元桃山学院大教授”. 四国新聞社. 2022年2月26日閲覧。