尾上菊之丞
初代
編集東京生まれ。尾上流を創流し初代家元となった歌舞伎の尾上宗家・六代目尾上菊五郎の部屋子で、1919年7月に尾上琴次郎の名で歌舞伎役者として初舞台。1921年舞踊に転向、藤間流5代目宗家藤間勘十郎に師事。1930年に名取となり、1948年に尾上流の二代目の家元を継承。音羽屋の踊りから花街のおどりなど活動。1954年に半年間の公演予定で渡米、1964年8月にも公演でハワイを訪れた際死去。墓所は台東区寛永寺。振付作に「二人椀久」「石橋」「紀州道成寺」など。
二代目
編集東京生まれ。初代の甥。9歳で初代に師事。1964年に六世藤間勘十郎に師事し、三代目尾上流家元を継承した。1966年青山学院大学経済学部卒業。
尾上梅幸監修のもと、大阪花の万博(1990年)、スペイン・セビリア国際万博(1992年)の振付を行い、1992年の万博には自らも出演している。1997年の歌舞伎パリ公演には、中村雀右衛門・中村富十郎の振付師として同行した。2005年の愛・地球博では日本館イベント『創生・歌舞伎をどり』をプロデュースしている[1]。
三代目
編集東京生まれ。二代の長男で、姉は日本舞踊家で女優の尾上紫。青山学院大学文学部中退[3]。
2歳より二代に師事。1981年に「松の緑」で初舞台。1990年に尾上青楓の名を許され、本格的に活動を開始。2011年に三代目菊之丞を襲名し四世家元を継承した。
歌舞伎の振付師としては菊五郎劇団と関わりが深く、「風の谷のナウシカ」、スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」などの新作歌舞伎やフィギュアスケートとのコラボレーションの「氷艶」の振付を手がけており、宝塚歌劇団・OSK、花街舞踊の振付・演出も行っている[4]。2020年7月より、八世藤間勘十郎とCAMPFIREコミュニティでオンラインサロンを運営している[5]。
脚注
編集- ^ “尾上流|尾上墨雪|プロフィール”. onoe-ryu.com. 2024年4月19日閲覧。
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.503
- ^ 堀井宏悦 2013, p. 544
- ^ “尾上流|尾上菊之丞|プロフィール”. onoe-ryu.com. 2020年12月24日閲覧。
- ^ “日本舞踊!?歌舞伎舞踊!?日本人なら知っておきたい話がいっぱいの古典芸能サロン”. community.camp-fire.jp. 2020年12月24日閲覧。
参考文献
編集- 藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂、2010年、92頁
- 森洋三『東京新聞』2011年6月11日
- 堀井宏悦 編『読売年鑑2013年版』読売新聞東京本社、2013年(2013年3月27日発行)、全768頁。ISBN 978-4-64-313001-0。「青山学院大文中退」
外部リンク
編集- 日本舞踊 尾上流
- 尾上菊之丞 (@mk5LNdlwJWoJVXS) - X(旧Twitter)
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