小関翔太
小関 翔太(こせき しょうた、1991年9月6日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(捕手)。
日本製鉄かずさマジック #29 | |
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楽天時代 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県北九州市小倉南区 |
生年月日 | 1991年9月6日(33歳) |
身長 体重 |
181 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト3位 |
初出場 | 2014年4月2日 |
最終出場 | 2016年6月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集小学校2年時に「横代ライオンズクラブ」でソフトボールを始める。中学時代は硬式のボーイズリーグ「小倉バディーズ」に所属し、2年時に三塁手として全国大会に出場[1]。3年時から捕手を始める。
東筑紫学園高等学校入学後は捕手に専念し、1年夏からベンチ入りし、同秋からレギュラーに。3年夏は打率2割にとどまりチームも5回戦敗退。福岡県の同学年には九州国際大学付属高校の河野元貴、福岡工大城東高校の梅野隆太郎と好捕手がおり、しのぎを削った。特に河野とは幼稚園が一緒だったという[2]。高校2年夏から中軸を担い、高校通算30本塁打[1]。
2009年プロ野球ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスに3巡目にて指名される。
プロ入り後
編集2010年は、イースタン・リーグ公式戦17試合の出場で、打率.154。2011年は、34試合の出場で、打率.230を記録。本塁打を1本放った。
2013年までは、一軍公式戦への出場機会がなかった。しかし、チームの日本シリーズ初制覇によって進出した同年のアジアシリーズで、開催国・台湾への遠征メンバーに抜擢。チームの準決勝進出がかかった同月17日の予選リーグB組・キャンベラ・キャバルリー(オーストラリア)戦では、事実上の一軍デビュー戦としてスタメンマスクを任された。この試合では、2回表1死満塁で迎えた打席で走者一掃の先制三塁打を放つなど、チームの勝利および予選リーグの1位通過に貢献。試合のMVPにも選ばれている[3]。
2014年には、入団後初めて一軍の春季キャンプに参加。キャンプ後のオープン戦でも一軍への帯同を続け、公式戦の開幕を初めて一軍で迎えた。4月2日のオリックス戦(コボスタ宮城)では、9回表の守備で一軍デビュー。同月4日に同球場で開催のソフトバンク戦では、前日のオリックス戦で負傷した正捕手・嶋基宏[4]に代わる捕手として、一軍公式戦で初めてスタメン起用された。4月30日に二軍降格したが、5月15日に一軍へ再昇格。セ・パ交流戦期間中の同月25日には、イースタン・リーグの公式戦でバッテリーを組んだ経験のある新外国人投手のトラビス・ブラックリーと共に、ヤクルト戦へ先発で出場した。この試合では、1回表の第1打席で適時打を放って一軍初打点を記録。守備でも、一軍公式戦来日初登板・初先発になったブラックリーに初勝利をもたらす好リードを見せた[5]。
2015年にも開幕一軍に選ばれたが、出場機会がなく、4月17日に抹消。再び一軍に戻ってくると、嶋基宏の骨折や伊志嶺忠の肉離れもあり、スタメンでの出場機会が増えていく。7月7日のソフトバンク戦では、武田翔太からプロ入り初本塁打をマークした。その後は嶋の復帰、伊志嶺の打撃が好調だったこともあり、出場機会も減り9月17日に登録抹消された。
2017年はキャンプ直前に昨シーズンに疲労骨折した左足甲の手術を行った[6]。二軍でも出場は無く、10月28日に球団から戦力外通告を受けた[7]。
2018年から、社会人野球の新日鐵住金かずさマジックに加入してプレーすることとなった[8](所属は日鉄住金環境)。
選手としての特徴
編集二塁送球1.8秒、コントロールの良い軌道の安定した送球で、高校時代での盗塁阻止率は9割超[1]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2014 | 楽天 | 53 | 111 | 99 | 6 | 15 | 5 | 0 | 0 | 20 | 5 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 1 | 31 | 1 | .152 | .160 | .202 | .362 |
2015 | 40 | 78 | 68 | 6 | 11 | 1 | 0 | 1 | 15 | 5 | 0 | 1 | 6 | 0 | 3 | 0 | 1 | 12 | 3 | .162 | .208 | .221 | .429 | |
2016 | 7 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .125 | .000 | .125 | |
通算:3年 | 100 | 198 | 174 | 12 | 26 | 6 | 0 | 1 | 35 | 10 | 0 | 1 | 18 | 0 | 4 | 0 | 2 | 46 | 4 | .149 | .178 | .201 | .379 |
年度別守備成績
編集この節の加筆が望まれています。 |
年 度 |
球 団 |
捕手 | ||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
捕 逸 |
企 図 数 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 | ||
2014 | 楽天 | 53 | 239 | 15 | 5 | 2 | .981 | 3 | 27 | 25 | 2 | .074 |
2015 | 40 | 193 | 20 | 1 | 3 | .995 | 2 | 30 | 21 | 9 | .300 | |
2016 | 7 | 17 | 0 | 1 | 0 | .944 | 0 | 4 | 4 | 0 | .000 | |
通算 | 100 | 449 | 35 | 7 | 5 | .988 | 5 | 61 | 50 | 11 | ,193 |
記録
編集- 初出場:2014年4月2日、対オリックス・バファローズ2回戦(Koboスタジアム宮城)、9回表に捕手で出場
- 初先発出場:2014年4月4日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(Koboスタジアム宮城)、8番・捕手で先発出場
- 初打席:同上、2回裏に攝津正から空振り三振
- 初安打:2014年4月5日、対福岡ソフトバンクホークス2回戦(Koboスタジアム宮城)、3回裏に中田賢一から右線二塁打
- 初打点:2014年5月25日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮球場)、2回表に八木亮祐から左前適時打
- 初本塁打:2015年7月7日、対福岡ソフトバンクホークス10回戦(ヤフオクドーム)、5回表に武田翔太から左越ソロ ※ギャビー・サンチェスと連続打者本塁打
背番号
編集- 29 (2010年 - 2017年)
登場曲
編集脚注
編集- ^ a b c 小関(東筑紫学園)夏切符射止める 福岡大会・7月4日南北同時開幕西日本スポーツ 2009年06月20日
- ^ 夏の甲子園「裏の主役」、 強豪校を支える「好捕手」たちSports Graphic Number Web 詳説日本野球研究 2009年7月19日
- ^ 楽天小関がMVP打で1位突破/アジアシリーズ日刊スポーツ 2013年11月18日
- ^ 絶好調の楽天・嶋 欠場 星野監督「こういう時に若手が…」スポーツニッポン 2014年4月5日
- ^ 楽天小関 初適時打&好リード日刊スポーツ 2014年5月26日
- ^ 【楽天】小関の左足甲の手術を発表「復帰まで6か月くらい」 スポーツ報知 2017年1月31日
- ^ 来季の選手契約に関して 東北楽天ゴールデンイーグルスオフィシャルサイト 2017年10月28日
- ^ “元DeNA松本が加入 楽天の小関も 社会人かずさ”. 千葉日報 (2016年12月17日). 2017年12月30日閲覧。
関連項目
編集- 福岡県出身の人物一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧
- 今浪隆博 - 小関と同じく、横代ライオンズ、小倉バディーズに所属した後、プロ野球選手となった。
外部リンク
編集- 個人年度別成績 小関翔太 - NPB.jp 日本野球機構