小野毛人
飛鳥時代の官人
小野 毛人(おの の えみし)は、飛鳥時代の官人。大徳・小野妹子の子。冠位は小錦中。
時代 | 飛鳥時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天武天皇6年(677年) |
官位 | 小錦中 |
主君 | 天武天皇 |
氏族 | 小野氏 |
父母 | 父:小野妹子 |
兄弟 | 毛人 |
子 | 毛野 |
概要
編集江戸時代初期に山城国愛宕郡小野郷(現在の京都府京都市左京区上高野)にある崇道神社近くの山から毛人の墓誌が発見され、国宝に指定されている。墓誌銘によると、毛人は天武朝において太政官に勤め、刑部大卿を兼務しており、冠位は大錦上であったという。子息である小野毛野の没伝では、毛人の冠位は小錦中とされていることから[1]、没後に大錦上の贈位を受けたか[2]。
墓誌に関する逸話
編集伊藤東涯の随筆『盍簪録』から引用した松崎慊堂の日暦によると、この墓誌は慶長年間に墓泥棒によって暴かれた石郭から発見され、近くの村にある法幢寺に持ってこられた。ところがその後、村は落ちぶれて荒れ果てたため、墓の祟りを恐れ、元のところへ復したという[3]。