小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人六歌仙三十六歌仙女房三十六歌仙の一人。     

小野小町(鈴木春信画)
小野小町(『前賢故実菊池容斎画、明治時代)

人物像

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岳亭春信による小野小町

『古今和歌集』序文において六歌仙の一人に挙げられており、文屋康秀や僧正遍昭凡河内躬恒在原業平安倍道行小野貞樹らと和歌の贈答を行っている[1]

出自

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出自は明らかでないが、通説では出羽国郡司小野良真の娘とされている[1]。ほかに、小野篁自身の娘[2]、あるいは小野滝雄の娘[3][4]とする説もある。

「小野」については地名とする説や氏姓とする説があるが、氏姓とする説が有力である[3]。その論拠として大江朝綱「男女婚姻賦」(『本朝文粋』巻第一)に小野小町の氏姓を省略した例がみられ、このような氏姓の省略が多くの文書で見られるのに対して地名は省略しないことが挙げられる[3]

「小町」については、民俗学の立場から小野氏の采女がもつ世襲の霊媒職名とする説、後宮に仕える女性の通称とする説、本名であるとする説がある[3]。この論点については勅撰集である『古今和歌集』や『後撰和歌集』にみえる小野小町の姉や孫(ただし『後撰和歌集』では伝本によって姉が従姉になったり孫が姪になったりしている)を根拠として挙げるものもある[3]。一説には小町姉が実在するという前提で、出羽国郡司の小野一族の娘で姉妹揃って宮仕えする際に姉は「小野町」と名付けられたのに対し、妹である小町は「年若い方の“町”」という意味で「小野小町」と名付けられたという説がある[5]

続日本後紀』で承和九年正月八日に正六位上を授けられたとされる小野吉子と関連づける説もあり、小野吉子と同一人物であるとする説(角田文衛説)や小野吉子は姉の「小野の町」なる人物にあたるとする説(岡一男説)がある[6]。この角田説や岡説では『古今和歌集』の「三条町紀静子)」や「三国町仁明天皇皇子貞登の母)」と「町」を同様に論じるが、両者は地名に由来すると考えられ氏姓名の小野小町とは同様には論じられないとする異論もある[3]

一方、勅撰集の作者表記の例や、先述の勅撰集の姉や孫の表記(「小町が姉」や「小町が孫」)のような例では前部に実名がくる(「~が母」の場合には前部に実名がくる)ことから「小町」は本名であるとする説がある[3]

生誕地に纏わる伝承

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晩年に纏わる伝承

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歌碑(京都随心院)「花の色は」の歌が刻まれている。

前述の秋田県湯沢市小野には晩年に住んだという伝承のある岩屋堂遺跡がある[7]。また、京都市山科区小野は小野氏の栄えた土地とされ、小町は晩年ここの随心院で過ごしたとの説がある[14]

なお、亡くなったとする伝承のある地に小町の墓がある例もある(茨城県新治郡新治村小野(現土浦市)など)[11]。以下の墓所を参照。

墓所

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小野小町の物とされる墓も、全国に点在している。

  • 秋田県湯沢市小野には深草少将と小野小町の墳墓と伝わる二ツ森がある[15]
  • 宮城県登米市東和町米川に『小町塚』と称する墓があり、付近には「小町桜」と呼ばれる桜の木があった他「小町峠」という地名や、小町を慕ってやってきたという某大納言の碑も残っている。
  • 宮城県大崎市古川にも、この地で亡くなったと伝わる小野小町の墓がある[16]
  • 山形県米沢市の塩井町には小野小町の墓とされる美女塚がある。
  • 福島県喜多方市高郷町には、小野小町塚があり、この地で病で亡くなったとされる小野小町の供養塔がある。
  • 栃木県栃木市岩舟町小野寺にも小野小町の墓があり、年老いた小町が薬師に祈ったが病気が治らず三杉川から身を投げたという[11]。ただし、小野寺にある天台宗大慈寺の『小野寺旧記』等の古記録はこれとは異なり小町の病は平癒したという[11]
  • 茨城県土浦市石岡市には、小野小町の墓があり、この地で亡くなったとの伝承がある。この2つの地は、筑波山の峠を挟んでかなり近いところにある。
  • 神奈川県厚木市小野は、嘉永元年に建てられた拝殿の横に、小町塚が存在する。
  • 愛知県あま市新居屋に小町塚があり、背面には「小町東に下るとき此処で死せし」とある。
  • 京都府京丹後市大宮町五十河も小野小町終焉の地と伝わり、小町の墓と伝えられる小町塚や、小町を開基とする妙性寺があり、小野小町公園が整備されている[17]
  • 京都府綴喜郡井手町では、小野小町が当地にて69歳で没したと伝えられ、小町の墓と伝えられる小野小町塚が残されている。
  • 京都府京都市左京区静市市原町にある小町寺(補陀洛寺)には、小野小町老衰像と小町供養塔などがある。
  • 滋賀県大津市大谷にある月心寺内には、小野小町百歳像がある。
  • 和歌山県和歌山市湯屋谷にも小町の墓があり、熊野参詣の途中この地で亡くなったとの伝承がある。
  • 鳥取県西伯郡伯耆町小町字稲場497番地 - ここに近い鳥取県会見町御内容の金龍山雲光寺には戒名「誠清院殿霊顕妙照大禅定尼」という小野小町の位牌があり、承和5年(838年)4月29日没と記されている[18]
  • 岡山県総社市清音黒田にも、小野小町の墓がある。この地の伝承としては、小町が「四方の峰流れ落ちくる五月雨の黒田の蛭祈りますらん」とよむと、当地の蛭は吸い付かなくなったという蛭封じの歌が伝えられている。
  • 山口県下関市豊浦町川棚中小野にも、小野小町の墓がある。

世界三大美人

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日本では一般にクレオパトラ楊貴妃と共に小野小町が「世界三大美人」(または世界三大美女)の一人に数えられている。小野小町の代わりにヘレネー、楊貴妃の代わりに虞美人を加える場合もある。

明治中期、日本国内でナショナリズムが高まると、世界三大英雄(カエサル、ナポレオン、織田信長)ら日本人を世界の偉人にしようという動きが生まれ、小野小町もメディアに登場するようになったのが始まりとされている[19]

作品

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狩野探幽『三十六歌仙額』)
 
百人一首

『古今和歌集』の18首や『後撰和歌集』の4首など勅撰集に六十数首の和歌が収められている[1]。また『小町集』が伝わる[1]。ただし、これらの中には他人の歌や後人の偽作も含まれているともいわれる[1]。歌風は情熱的で奔放な恋歌であり、そこから小野小町に関する多くの説話や伝説が生み出された[1]

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける
わびぬれば身を浮草の根を絶えて誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる
うつつにはさもこそあらめ夢にさへ人めをもると見るがわびしさ
かぎりなき思ひのままに夜もこむ夢ぢをさへに人はとがめじ
夢ぢには足もやすめずかよへどもうつつにひとめ見しごとはあらず
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
秋の夜も名のみなりけりあふといへば事ぞともなく明けぬるものを
人にあはむ月のなきには思ひおきて胸はしり火に心やけをり
今はとてわが身時雨にふりぬれば事のはさへにうつろひにけり
秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば

— 『古今集』

ともすればあだなる風にさざ波のなびくてふごと我なびけとや
空をゆく月のひかりを雲間より見でや闇にて世ははてぬべき
宵々の夢のたましひ足たゆくありても待たむとぶらひにこよ

— 『小町集』

次の歌からも美女であった事が窺える。これは、百人一首にも選ばれている。

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に — 『古今集』

小野小町にちなむ作品

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「卒塔婆の月」(月岡芳年『月百姿』)年老いた小野小町
 
通小町(月岡耕漁『能楽図絵』)

小野小町を題材とした作品を総称して「小町物」という。

小野小町を題材にした七つの謡曲、『草紙洗小町』『通小町』『鸚鵡小町』『関寺小町』『卒都婆小町』『雨乞小町』『清水小町』の「七小町」がある。これらは和歌の名手として小野小町を讃えたり深草少将百夜通いを題材にしたものと、年老いて乞食となった小野小町に題材にしたものに大別される。後者は能作者らによって徐々に形作られていった「衰老落魄説話」として中世社会に幅広く流布した。

歌舞伎

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  • 積恋雪関扉(つもるこい ゆきの せきのと) 通称「関の扉」、歌舞伎舞踊常磐津)、天明4年 (1784) 江戸桐座初演
  • 『去程恋重荷』(さるほどに こいのおもに) 通称「恋の重荷」、歌舞伎舞踊(常磐津)、文政2年 (1819) 江戸中村座初演
  • 六歌仙容彩(ろっかせん すがたの いろどり) 通称「六歌仙」、歌舞伎舞踊(義太夫長唄清元)、天保2年 (1831) 江戸中村座初演
  • 『和歌徳雨乞小町』(わかの とく あまごい こまち) 通称「雨乞小町」、歌舞伎狂言、明治29年 (1896) 東京明治座初演

御伽草子

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美術

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鎌倉時代に描かれた、野晒しにされた美女の死体が動物に食い荒らされ、蛆虫がわき、腐敗して風化する様を描いた九相詩絵巻は別名を「小野小町九相図」と呼ばれる。モデルとしては他に檀林皇后も知られ、両人とも「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 痩せたる(飢ゑたる)犬の腹を肥やせ(よ)」の歌の作者とされた。

裁縫用具

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  • 裁縫に使う「待ち針」の語源は小野小町にちなむという俗説がある。言い寄ってくる多くの男に小野小町がなびくことがなかったため、穴()のない女と噂されたという伝説に基づき、穴のない針のことを「小町針」と呼んだことから来ているというものである[20]
  • 横溝正史の推理小説『悪魔の手毬唄』に登場する手毬唄では、「穴がない女性」という意味で「小町」の語が用いられている。

舞台

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  • 『夜会』Vol.5(1993年)
中島みゆきの舞台。サブタイトルが「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」である。ポスターには十二単を着て小野小町に扮した中島みゆきが後姿で写っている。ストーリーは小野小町の伝承と、上田秋成雨月物語の中の浅茅が宿をモチーフにしている。
  • 『ミュージカル小野小町』
わらび座2007年上演の舞台。内舘牧子脚本、椿千代主演)は小町が残した「我死なば 焼くな埋むな 野にさらせ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ」の歌から、自分の人生を生ききった美しいだけではない強い女性として小町を描いている。
  • 『小町の千年情話』
さちいろ玉手箱第一回公演、2013年8月の舞台。真波連路の落語輪廻小町星恵が舞台劇に脚色、演出。企画、主演は棚橋幸代。生前の愛憎のもつれのために、没後、一千年も成仏できず、江戸の町をさまよう小野小町の霊。やっと成仏できる機会がめぐってきたが、小町の霊は、その機会を自分でふいにしてしまい、そして……。

小説

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  • 『小説 小野小町「吉子の恋」』
三枝和子著。小野小町の本名が「小野吉子」で、文徳天皇更衣だったとする説を採用して、その一生を描いている。

アニメ

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六歌仙のひとりとして3話から5話にかけて登場。声を演じたのは遠藤綾

原作者であり監督の新海誠は、小町の古今和歌集の和歌から着想を得て、この作品をつくったとしている[21]

原文

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

現代語訳
あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを。

ドラマ

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小野小町と深草少将の「百夜通い」の如く、公家の裏切りに傷ついた白拍子への想いを証明しようとした面打師・孫四郎(演 - 名高達郎)は九十九夜を最後に通いは途絶えた。時は流れ、転生した孫四郎は現代の京都で低温科学研究所に勤務する青年・山村三郎(演 - 名高達郎)として幸福な結婚をするが、前世の恋人が死ぬことなく400歳の妖怪「氷女」と化して真夏の上に異常気象で酷暑に見舞われる「きらら坂」に現れて男性を次々と死なせる事件を引き起こし、「百日行」の残り一日を目前にした修行僧・日信(演 - 小林芳宏)や三郎の父・山村孝吉(演 - 芦屋小雁)も犠牲になった。京都府警の早川六助(演 - 遠藤太津朗)は捜査の過程で、記録にあるだけでも戦後から5件も同様の怪事件が起きていることを知り困惑する。更には、妻・民子(演 - 村田みゆき)も「氷女」を目撃したショックで眼が見えなくなり入院してしまう。その一方で、「氷女」の前に非業の死を遂げた日信の怨霊が出没して恨み言をぶつける。真夏の凍死事件の記事を読んだ三郎は父が恋い焦がれた着物デザイナーの九条沙織(演 - 宇津宮雅代)が人間の法律では裁けぬ妖怪だと確信して罠を仕掛け、背後から忍び寄った「氷女」にナイフを突き刺して致命傷を与えるが、彼女は三郎の前世である孫四郎の恋人であり、三郎の妻は沙織の妹の転生だった。死に際、妹を幸せにしてやって下さいと言い残し、沙織は呪われた人生の幕を閉じた。その直後、民子は眼が見えるようになる。

小野小町が由来になったもの

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秋田県湯沢市小野出身という説に由来。

脚注

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注釈

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  1. ^ 傍証として小野小町の歌集『小町集』に前の陸奥国の女性の歌が紛れ込んでいる。

出典

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  1. ^ a b c d e f 鳥居フミ子「土佐浄瑠璃の脚色法-9-小町もの「吾妻業平色小町」「桜小町」」『東京女子大学紀要論集』第38巻第1号、東京女子大学、1987年9月20日、109-140頁。 
  2. ^ 前田善子『小野小町』三省堂、1943年
  3. ^ a b c d e f g 熊谷直春「小野小町の真実」『国文学研究』第47巻、早稲田大学、1972年6月20日、24-32頁。 
  4. ^ 角田文衛「小野小町の実像」『王朝の映像-平安時代史の研究』東京堂出版、1970年
  5. ^ 黒岩 1913, pp. 7–11[注釈 1]
  6. ^ 赤羽根龍夫「「小野小町」考」『基礎科学論集 : 教養課程紀要』第5巻、神奈川歯科大学、1987年12月25日、1-22頁。 
  7. ^ a b 小野地域イラストマップ”. 秋田県. 2024年7月26日閲覧。
  8. ^ 小野町 歴史”. 小野町. 2018年1月17日閲覧。
  9. ^ 小野町観光ガイドブック”. 小野町. 2024年7月26日閲覧。
  10. ^ 「小野小町と小町神社(厚木市小町)」(読売新聞横浜支局 編『神奈川の伝説』有隣堂、1967年。ISBN 978-4-305-70781-9 )149 - 152頁。
  11. ^ a b c d e 小堀光夫「関東の小野小町伝承」、日本口承文芸学会。 
  12. ^ 石碑 小野小町塚”. 公益社団法人 彦根観光協会. 2024年7月26日閲覧。
  13. ^ 小野の泉水(おののせんすい) 植木町 - 熊本県庁(アーカイブ)
  14. ^ 小野・醍醐・日野”. 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所. 2024年7月26日閲覧。
  15. ^ 二ツ森(Futatsu Mori)”. 湯沢市. 2024年7月27日閲覧。
  16. ^ 歴史遺産、説明板で伝承 宮城・大崎の地元研究会「関心持つ手がかりに」小野小町の墓碑や子松神社の石碑など”. 河北新報. 2024年7月27日閲覧。
  17. ^ 小野小町公園”. 日本海トラベル.. 2020年2月18日閲覧。
  18. ^ 小野小町の墓”. 伯耆町. 2024年7月26日閲覧。
  19. ^ 小竹朝子; 永井久美子 (2019年3月7日). “世界三大美人言説から見えてくる人々の「認識」の作られ方 小野小町は本当に美人だったのか”. 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部. 2021年7月14日閲覧。
  20. ^ 宮武外骨編『日本擬人名辞典』附録5頁(成光館、1930)
  21. ^ 映画『君の名は。』公式サイト 新海誠[監督]インタビュー

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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