小花万次
日本の江戸時代末期(幕末)の武士、明治時代の教育者
小花 万次(おばな まんじ、嘉永5年7月11日(1852年8月25日) - 大正9年(1920年)3月10日)は、幕臣、海軍大学校教授。正五位勲三等。名は萬次郎。
経歴
編集旗本・小花作助の長男で牛込に生まれる。元服し、15歳で榎本武揚に従い北海道に渡り、箱館戦争に従軍。のち敗れて、慶應義塾に学び(『慶應義塾入社帳第1巻』329頁)、開拓局支配調役などを経て秋月種樹に従い渡英し、明治7年(1874年)に帰国。次いで兄弟に従い工部省鉱山局で鉱山学を学ぶ。明治12年(1879年)海軍兵学校教官(勅任)。明治31年(1898年)海軍大学校教授。明治38年(1905年)辞任。
栄典
編集- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等瑞宝章、明治三十七八年従軍記章[1]
親族
編集脚注
編集- ^ 『官報』第7091号・付録「叙任及辞令」1907年2月21日。
参考文献
編集- 谷中・桜木・上野公園裏路地ツアー 小花万次 - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。