小笠原長教 (石見小笠原氏)
南北朝時代から室町時代の武士。石見小笠原氏6代。右馬助。小笠原長義の嫡男。
小笠原 長教(おがさわら ながのり)は、南北朝時代から室町時代にかけての武士。石見国邑智郡河本郷(現在の島根県邑智郡川本町)の温湯城を本拠とする国人・石見小笠原氏の第6代当主。
時代 | 南北朝時代 - 室町時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 応永21年7月6日(1414年7月22日)[1] |
戒名 | 道生院殿 |
官位 | 右馬助 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利義持 |
氏族 | 清和源氏義光流石見小笠原氏 |
父母 | 父:小笠原長義[2] |
兄弟 | 長教、西長助[2]、長谷長吉[2]、上村長辰[2] |
子 | 長性、高見長勝[3]、南長貞[2]、君谷好兼[2]、山中長資[2] |
生涯
編集石見小笠原氏第5代当主の小笠原長義の嫡男として生まれる。応永10年(1403年)10月25日に父・長義が死去し[1]、その後を継いだ。
応永16年(1409年)9月3日に大家庄三原郷内の4ヶ村のうち三原古路原などを、応永21年(1414年)1月13日には河本郷内の松原を甘南備寺へ寄進した。
脚注
編集参考文献
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