小田切昌興
小田切 昌興(おだぎり まさおき)は、江戸時代中期の武士、旗本。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保8年(1723年) |
死没 | 安永元年12月24日(1773年1月16日) |
別名 | 図書、兵庫、十兵衛 |
戒名 | 義然 |
墓所 | 錦小路長円寺 |
主君 | 徳川家重→徳川家治 |
氏族 | 小田切氏 |
父母 | 父:小田切昌民、母:長谷川正冬娘 |
兄弟 | 昌興、女子(三宅康英妻)、女子(大河内政舜妻) |
妻 | 坪内定根娘 |
子 | 養子:昌應 |
経歴
編集元文3年(1738年)9月3日、家督を継ぎ、宝暦5年(1755年)3月16日に大番に列す[1]。同11年12月26日、番を辞し、安永元年(1773年)1月18日に番に復し二条在番となるが、同年12月24日、二条城を守衛中に死去した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 堀田正敦『寛政重脩諸家譜 第3輯』國民圖書、1923年 。