小河諒

神奈川県出身のレーシングドライバー

小河 諒(おがわ りょう、1991年4月22日 - )は、神奈川県出身のレーシングドライバー。血液型はO型

経歴

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トヨタのワークスドライバーであった小河等の長男として生まれる。しかし一歳の時、父は鈴鹿で事故死。それ以来母・雅子は厳しく諒をしつけて育てた。舘信秀関谷正徳福山英朗といった父と親交のあったドライバーたちは諒をかわいがり、毎年ゴールデンウィークの富士スピードウェイのレースを見に行くなど、時々サーキットに連れて行った[1]

父のことがありレースをしたくてもなかなか言い出せなかったが、2005年ついに決心して母にレースをしたいと告げ、13歳でカートを始める。ただし、関谷正徳のアドバイスで高校受験までは学業と並行していたため、本格的にレース活動を始めたのは16歳からである。

2010年にフォーミュラ・チャレンジ・ジャパンで4輪レースデビュー。

2012年にル・ボーセモータースポーツからスーパーFJに参戦[2]

2013年、2014年とPCCJ(ポルシェ・カレラカップジャパン)でチャンピオンを連覇[3]

2015年、父の親友であった舘信秀の後押しで全日本F3選手権のNクラスにトムスから参戦、圧倒的な戦績で4戦を残して王者を獲得[4]

2016年にはスーパー耐久のST-4クラスにエンドレスからトヨタ・86で参戦、最終戦を待たず王者となった[5]。2017年も同様にエンドレス86で参戦し、ランキング2位につけた。

2018〜2019年86/BRZレースに参戦し、2019年以降は再びPCCJを主戦場としている。

SUPER GTでは2016年にルーキーテストに合格[6]したものの出走には至らず、GT公式のレポーターなどで情報を発信する役割を担っていた。2023年はaprのリザーブドライバーとして登録された。

エピソード

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  • 父の親友であった関谷正徳について小河は「父親の代わりみたいに本気で怒ってくれた」と語っている。
  • 雅子は等の死以来ずっと泣いて日々を送っていたが、2歳の諒に「ママずっと泣いてるのは僕が悪い子だから?」と言われ、それ以来泣くのをやめたという。諒は母を「普通の家庭のお母さんの何百倍も頑張ってた」と回顧している[7]
  • 愛車はマツダ・ロードスター[8]
  • 2021年頃から「ファイナルコール小河」の呼び名がファンの間で広まり、自身も用いるようになって定着した。

レース戦歴

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SUPER GT

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2023年 apr トヨタ・GR86 GT300 OKA FSW
18
SUZ FSW
13
SUZ SUG AUT MOT NC 0

脚注

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関連項目

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外部リンク

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