小林敦 (野球)
小林 敦(こばやし あつし、1986年2月24日 - )は、静岡県島田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
2011年 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県島田市 |
生年月日 | 1986年2月24日(38歳) |
身長 体重 |
178 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2010年 ドラフト3位 |
初出場 | 2011年6月8日 |
最終出場 | 2011年10月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集プロ入り前
編集東海大翔洋中学校時代は2年次に三塁手として第16回全日本少年軟式野球大会でベスト8。3年次からエース投手となる。その後東海大相模高に進学。2年秋からエースとして活躍し、3年夏は県大会ベスト4で敗退。甲子園の出場は叶わなかった。東海大学進学後は3年秋の4勝を挙げるも、4年時は不振だったこともありプロからの指名はなかった。
大学卒業後は七十七銀行に入行。1年目から日本選手権、東京スポニチ大会などで全国経験を果たす。第81回都市対抗野球東北2次予選では、第2代表決定戦の対TDK戦で3安打7奪三振無四球完封で敢闘賞を受賞した。その一方で、銀行員として、同行の県庁支店で窓口業務に就いていた。
2010年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから3巡目指名を受けたことを機に入団[1]。七十七銀行出身者では初めてのプロ野球選手[2]で、入団後には、海外FA権の行使によってこの年限りで退団した小林宏之から背番号41を引き継いだ。なお、指名直後の11月には、広州アジア大会に日本代表として出場。銅メダルを獲得した。
プロ入り後
編集2011年には、チームの新人投手で唯一、春季キャンプを一軍でスタート。公式戦の開幕を二軍で迎えたが、6月8日の対阪神タイガース戦(QVCマリンフィールド)に3番手投手として一軍デビューを果たすと、同月30日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)から先発に転向。7月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(QVCマリンフィールド)に先発で登板すると、7回を被安打2の無失点に抑えて一軍初勝利を記録した[3]。一軍公式戦では先発で6試合に登板したが、この年を最後に一軍のマウンドから遠ざかった。
2012年には、イースタン・リーグ公式戦で主に先発を任されると、5月下旬までの登板で5勝を挙げた。しかし、5月31日の対日本ハム戦(鎌ケ谷スタジアム)では、打者6人に4つの四球を与えた末に1回0/3で降板。この試合を最後に実戦を離れると、8月15日に右肩関節の腱板修復手術を受けた[4]。このため、2013年には実戦から離れて、右肩のリハビリに専念した。
2014年には、イースタン・リーグ公式戦で2年振りに実戦へ復帰。通算で13試合に登板したが、11回3分の1を投げただけで、勝敗は付かなかった。
2015年には、イースタン・リーグ公式戦27試合に登板。0勝1敗、防御率4.67という成績を残した。しかし、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[5]ことを機に、現役を引退した。
ちなみにロッテでは、1988年に小林茂生が入団してから、小林敦に戦力外を通告するまで、28年連続で小林姓の現役選手が必ず1名在籍していた(延べ9名で全て投手)。小林敦が引退した2016年シーズンからは、現役時代にクローザーとして活躍した小林雅英が、一軍の投手コーチとして復帰する。ただし、小林敦への戦力外通告後(2015年12月時点)にドラフト会議やトレードなどで小林姓の選手を獲得していないため、2016年は小林姓の現役選手が29年振りに在籍しなくなった[6]。
現役引退後
編集2015年12月10日に、スカウトとしてロッテと契約することが球団から発表された[7]。地元の東海地区に加えて、北陸地区も担当する[2]。石川ミリオンスターズの安江嘉純が初の担当選手指名となった。藤岡裕大も担当した[8] 2024年からはオリックスの東海地区担当のスカウトを務める。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2011 | ロッテ | 9 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 160 | 35.2 | 42 | 5 | 10 | 0 | 0 | 22 | 2 | 0 | 25 | 23 | 5.80 | 1.46 |
通算:1年 | 9 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 160 | 35.2 | 42 | 5 | 10 | 0 | 0 | 22 | 2 | 0 | 25 | 23 | 5.80 | 1.46 |
記録
編集- 初登板:2011年6月8日、対阪神タイガース3回戦(QVCマリンフィールド)、6回表に3番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、6回表に俊介から空振り三振
- 初先発登板:2011年6月30日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(札幌ドーム)、5回8被安打5失点で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:2011年7月14日、対埼玉西武ライオンズ9回戦(QVCマリンフィールド)、7回2被安打無失点
背番号
編集- 41 (2011年 - 2015年)
登場曲
編集- 「Lifestyles Of The Rich And Famous」Good Charlotte(2011年 - )
脚注
編集- ^ 千葉ロッテマリーンズ オフィシャルサイト
- ^ a b ロッテ小林敦 ケガに泣いた5年間生かすスカウトに日刊スポーツ(2016年1月3日)
- ^ 「雅」でも「宏」でもない 小林敦がプロ初勝利スポーツニッポン(2011年7月15日)、2015年12月22日閲覧。
- ^ 「小林投手の手術について」 千葉ロッテマリーンズ公式サイト(2012年8月15日)、2012年11月26日閲覧。
- ^ 来季契約について 千葉ロッテマリーンズ公式サイト 2015年10月3日閲覧。
- ^ ロッテの意外な危機!? “小林”のバトン、途切れると29年ぶりBASEBALL KING(2015年10月3日)、2015年12月22日閲覧。
- ^ 来季スタッフ契約について 千葉ロッテマリーンズ公式サイト(2015年12月10日)
- ^ 週刊ベースボール2021年2月1日号、32頁
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 小林敦 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube