小林吉彦
小林 吉彦(こばやし よしひこ、1920年7月20日 - 2013年2月18日)は、日本の経営者。フジサンケイグループ代表、ニッポン放送会長を務めた。
来歴・人物
編集栃木県出身[1]。1943年に慶應義塾大学法学部を卒業[1]。三井精機、栃木労働基準局での勤務を経て、1954年にニッポン放送に転じ、1960年に産業経済新聞社への出向を経て、1961年にニッポン放送に復帰[1]。1967年5月に取締役に就任し、1968年5月に常務に就任し、1969年5月に専務を経て、1977年6月から1986年6月までにサンケイビル社長を務めた[1]。1992年7月から1993年7月までにフジサンケイグループ本社社長を務め、1993年6月から1997年6月までフジサンケイグループ代表とニッポン放送会長を務めた[1]。フジテレビジョン顧問も務めた[1]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g 興信データ株式會社 2003, こ72頁.
- ^ 小林吉彦氏が死去 元ニッポン放送会長2013年 2月18日 日本経済新聞
参考文献
編集- 興信データ株式會社『人事興信録 第42版 上』興信データ、2003年。