小林勇
小林 勇(こばやし いさむ、1903年(明治36年)3月27日 - 1981年(昭和56年)11月20日)は、編集者、随筆家、画家。号は冬青。岩波書店の創業者岩波茂雄の女婿であり、同社会長を務めた。
人物
編集長野県上伊那郡赤穂村(現・駒ヶ根市)の農家の五男として生まれる[1]。実業学校で基礎教育を受けたのち家業を手伝っていたが、1920年、17歳で上京し、岩波書店の住み込み社員となり、岩波文庫の創刊に携わる。幸田露伴の愛顧を受ける。
岩波茂雄の女婿(次女小百合と結婚)となるが、1928年に独立し、三木清らの援助を受けて自身の出版社・鉄塔書院[2]、新興科学社を興す。だが、後に経営不振となり、1934年に岩波書店に復帰。1937年には『回想の寺田寅彦』を編んでいる。1945年5月治安維持法違反の嫌疑で逮捕され拷問を受ける(横浜事件)が、終戦により同年8月29日釈放[1]。
1946年岩波書店支配人、1949年に岩波映画を設立。岩波書店代表取締役を経て1962年から1972年まで岩波書店会長。
1955年初の随筆集『遠いあし音』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。数多くの随筆評伝などの著書を上梓している。
中谷宇吉郎、初代中村吉右衛門など[1]文化人たちとの交遊は幅広く、生涯にわたり書画を描き「吉井画廊」などで個展を十数回催した。晩年は山梨県北西部の長坂町(現・北杜市)での清春白樺美術館創設に関わった。
著書
編集- 『遠いあし音』文藝春秋新社 1955
- 『遠いあし音・人はさびしき 人物回想』筑摩叢書 1987
- 『蝸牛庵訪問記 露伴先生の晩年』岩波書店 1956、講談社文芸文庫 1991
- 『小閑』東京創元社 1960
- 『随筆 雨の日』文藝春秋新社 1961
- 『惜櫟荘主人 一つの岩波茂雄伝』岩波書店 1963、講談社文芸文庫 1993
- 『随筆 竹影』筑摩書房 1965
- 『彼岸花 追憶三十三人』文藝春秋 1968、講談社文芸文庫 1992
- 『蓑雲 歌集』新星書房 1968
- 『隠者の焔』文藝春秋 1971
- 『山中独膳』文藝春秋 1971
- 『山中独膳・厨に近く』筑摩叢書 1988
- 『随筆 書画一如』求龍堂 1972
- 『人はさびしき』文藝春秋 1973、筑摩叢書 1987
- 『随筆 夕焼』文藝春秋 1974
- 『一本の道』岩波書店 1975、復刊2003、新版2012
- 『冬青庵楽事』新潮社 1977
- 『厨に近く』[3]中央公論社 1978、筑摩叢書 1988
- 『赤い鞄』新潮社 1980
文集
編集- 『小林勇文集』全11巻、筑摩書房 1982‐1983
- 遠いあし音、彼岸花 他
- 蝸牛庵訪問記 他
- 惜檪荘主人
- 人はさびしき 他
- 隠者の焔 他
- 山中独膳、厨に近く
- 冬青庵楽事、赤い鞄
- 随筆書画一如 他
- 小閑、竹影、雨の日
- 夕焼、故人今人 他
- 一本の道、竹頭木屑 他
関連文献
編集脚注
編集- ^ a b c 冬青 小林 勇 年譜 (PDF)
- ^ 鉄塔書院は、1929年4月東京市神田区一ツ橋通で開業し、6年間存続した。--冬青 小林勇展 梅野記念絵画館・ふれあい館 , 三木清『社会科学の予備概念』鉄塔書院、1929年、奥付、国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 書画50枚による画文集
外部リンク
編集- 小林勇『蝸牛庵訪問記』書評(「松岡正剛の千夜千冊」第二百四十七夜【0247】2001年3月12日)