小杉陣屋
川崎市中原区にあった江戸幕府の陣屋
小杉陣屋(こすぎじんや)は、神奈川県川崎市(武蔵国小杉)中原区小杉陣屋町にあった陣屋。江戸時代初期の旗本・幕府領代官で、用水奉行だった小泉次大夫吉次の陣屋。小杉御殿の東隣にあった。
小杉陣屋 (神奈川県) | |
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別名 | 小泉陣屋 |
城郭構造 | 陣屋 |
天守構造 | なし |
築城主 | 小泉次大夫 |
築城年 | 1597年(慶長2年) |
主な城主 | 小泉氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | なし(埋没?) |
指定文化財 | 未指定 |
再建造物 | なし |
位置 |
北緯35度35分04.0秒 東経139度39分20.5秒 / 北緯35.584444度 東経139.655694度座標: 北緯35度35分04.0秒 東経139度39分20.5秒 / 北緯35.584444度 東経139.655694度 ※座標は説明看板の地点 |
地図 |
概要
編集1597年(慶長2年)、徳川家康の家臣・小泉次大夫は武蔵国稲毛領、川崎領の農業用水確保、灌漑工事のため、用水奉行として武蔵国小杉に小杉陣屋を築いた[1][2]。工事は14年を要して「二ヶ領用水・六郷用水」として完成し、関ヶ原の戦いの後、徳川家康が江戸幕府を開いた時、次大夫は旗本となり、幕府領の代官として当地を治めた[3]。
1608年(慶長13年)に2代将軍徳川秀忠により、西隣に小杉御殿が造営された[4]。
現在の川崎市中原区小杉陣屋町、川崎市立西丸子小学校校門前の墓地付近にあたるとされるが[4]、川崎市設定の周知の埋蔵文化財包蔵地(中原区No.18、種別:城館跡、小杉御殿を含む)範囲からはややズレている[5]。小杉陣屋町「小杉陣屋町中公園」向かい側の祠に案内看板がある。
脚注
編集- ^ 羽田 2015 p.102
- ^ “名所旧跡 -中原区-”. 川崎市 (2016年12月14日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ 「かわさき区の宝物一覧32 人物・団体 -小泉次大夫-」川崎市公式HP
- ^ a b “「中原街道と周辺の今昔」デジタルアーカイブ”. 新小杉開発株式会社. 2020年5月17日閲覧。
- ^ 「ガイドマップかわさき-川崎市地図情報システム-」川崎市公式HP
参考文献
編集- 羽田猛 2015『中原街道と武蔵小杉 写真で綴る周辺の今昔』神奈川新聞社