小杉義男

1903-1968, 俳優。

小杉 義男こすぎ よしお[1][2]1903年〈明治36年〉9月15日[1][3] - 1968年〈昭和43年〉3月12日[1][3][注釈 2])は、日本俳優。叔父に日本画家小杉放庵、長女は元女優小杉公子[4]栃木県出身[1]

こすぎ よしお
小杉 義男
生年月日 (1903-09-15) 1903年9月15日
没年月日 (1968-03-12) 1968年3月12日(64歳没)
出生地 日本の旗 日本 栃木県上都賀郡日光町[注釈 1]
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1920年代 - 1967年
配偶者 あり
著名な家族
主な作品
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略歴・人物

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栃木県上都賀郡日光町[注釈 1]生まれ。日本館にいた石井漠に舞踊、松島詩子コールユーブンゲンを習い、浅草オペラの歌手として活躍する。その後は、伊庭孝新星歌舞劇団を経て新劇協会に入り、帝国ホテル演芸場での『桜の園』のヤーシャで認められる。

1925年築地小劇場に入り、『どん底』の靴屋のアリョーシカで認められ、これを持ち役とし、以降はこわもての風貌を武器に脇役として個性的な演技で活躍。映画初出演は、1927年に築地小劇場の座員と共に出演した『黎明』。

1934年新協劇団の結成に参加。翌1935年には舞台活動と併行して、東宝の前身である映画会社P・C・Lと契約。時代劇、舞台劇を問わず多くの東宝映画に出演する。黒澤明の映画にもたびたび起用され、『姿三四郎』、『虎の尾を踏む男達』、『七人の侍』などに出演。世界的スターであり、小杉の後輩である三船敏郎とも三船のデビュー作から共演することが多かった。

特撮作品にも数多く出演しており、特に本多猪四郎が監督を務める作品には数多く出演した。本多は、小杉について新劇出身で芝居がうまかったと評している[5]。鋭い眼光で、悪役や軍人役などを演じた[2]

また東宝の俳優養成所では発声の授業を受け持ち、養成所内ではひときわ厳しい先生の一人だった。教え子の一人である佐原健二は、のちに特撮ドラマ『ウルトラQ』第25話の「悪魔ッ子」で小杉と共演した際、劇中の魔術師のメイクをした恩師の顔があまりに怖くて言葉に詰まってしまい、とっさにあいさつできなかったという[6]

同じく演技研修を受けた夏木陽介は、小杉は竹刀を握って厳しく指導していたといい、夏木は反抗的な態度をとっていたという[7]。一方で、夏木らには自身の撮影現場を見に来ないよう指示しており、こっそり覗いた夏木は監督から絞られる小杉の姿を見て先生としての体面を保ちたかったのだと察した[7]

出演作品

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映画

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テレビドラマ

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b 現在の同県日光市
  2. ^ 日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』(2004年)では「1963年(昭和38年)3月12日」と誤記されている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 東宝特撮映画全史 1983, p. 529, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b c d e f g ゴジラ大百科 1993, p. 119, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  3. ^ a b c d e f g 野村宏平、冬門稔弐「9月15日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、266頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  4. ^ 読売新聞 1967年8月5日。
  5. ^ 「本多猪四郎監督 長編インタビュー(4)」『キングコング対ゴジラ/地球防衛軍』東宝出版事業室〈東宝SF特撮映画シリーズ VOL.5〉、1986年3月1日、163頁。ISBN 4-924609-16-1 
  6. ^ 佐原健二「二重、三重に怖かった「悪魔ッ子」」『素晴らしき特撮人生』小学館、2005年、69-71頁。ISBN 4-09-387597-9 
  7. ^ a b 別冊映画秘宝編集部 編「夏木陽介(構成・文 友井健人)」『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日、85頁。ISBN 978-4-8003-1050-7 
  8. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–537, 「主要特撮作品配役リスト」
  9. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 87, 「『三大怪獣 地球最大の決戦』作品解説/俳優名鑑」

参考文献

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外部リンク

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