小川郷太郎 (外交官)
日本の外交官
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1943年7月1日 - )は日本の元外交官。イラクやアフガニスタンの復興支援のために尽力した。現在、高校生の留学を支援する財団法人エイ・エフ・エス日本協会の理事長や三井住友海上火災保険の顧問[1]、日本国際フォーラム政策委員[2]を務めている。
人物
編集静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高校3年の時に休学し交換留学生としてアメリカニューメキシコ州でホームステイをしながら現地の高校に通った[3]。1968年3月、東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。
2006年9月にイラク復興支援等調整担当大使となり、同年10月9日にヌーリ・マリキ首相に訪日の招請を行った[4]。2007年9月イラク復興支援等調整担当を最後に退官したが、その後もイラク復興支援等調整担当大使としてイラク戦争後の経済復興に官民で取り組むイラク経済ミッションの団長としてバグダッドを訪問している[5]。
2009年5月には北方領土3.5島返還に言及した谷内正太郎を批判する産経新聞の広告に賛同人として名前を連ねた[6]ことに対して鈴木宗男衆議院議員より質問主意書が提出された[7]。
主な経歴
編集- 1968年4月 外務省入省[3]
- 1969年 フランス語研修(フランス・ボルドー政治学院)
- 1971年 在フランス日本大使館三等書記官
- 1979年 在フィリピン日本大使館一等書記官
- 1981年 OECD代表部一等書記官
- 1985年 経済局国際経済第一課長
- 1986年 欧亜局西欧第一課長
- 1988年7月 在ソビエト連邦日本国大使館参事官
- 1990年11月 在大韓民国日本国大使館公使
- 大臣官房外務参事官兼国際情報局
- 1995年8月 国際協力事業団総務部長
- 1998年4月 ホノルル日本国総領事
- 2000年12月2日[8] 在カンボジア日本国特命全権大使
- 2003年10月10日 在デンマーク日本国特命全権大使、リトアニア大使を兼任
- 2006年9月 特命全権大使(イラク復興支援等調整担当、2007年にはアフガニスタン支援担当大使を兼任)
- 2007年9月 退官
- 2019年 春の叙勲で瑞宝中綬章を受章[9]。
柔道との関わり
編集東京大学在学中は柔道部に所属していた。現在全日本柔道連盟の国際委員を務めている[10][11]。柔道の普及を通して世界各国との文化交流を推進しているNPO法人「柔道教育ソリダリティー」の理事を務めている[12]。北京オリンピックで日本選手団が惨敗したため、全日本柔道連盟が欧米のJUDOに対応しようと新体制を発表したことに対してメダル至上主義、ガッツポーズや雄叫び、負けた時に礼もせずにうずくまるといった相手選手への礼儀、敬意に欠ける精神的な部分での模範を日本が示すべきであると苦言を呈している[10]。
外務省同期
編集著書
編集- 『世界が終の棲み家 新しい日本のかたち』(文芸社 2008年8月 ISBN 4-286-05063-7)
脚注
編集- ^ 一体となってAFS事業に新たな活力を エイ・エフ・エスニュース
- ^ “委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
- ^ a b 外交こそ平和維持の道 静中・静高創立125周年 高きを仰ぐ 静岡新聞 2003年10月22日 2009年8月20日閲覧
- ^ 小川イラク復興支援等調整担当大使とマーリキー・イラク首相との会談 2006年10月11日
- ^ イラク経済ミッションの派遣について 外務省 2009年3月1日
- ^ 外務省参与の北方四島の意見広告賛同「問題なし」 政府答弁書 産経新聞 2009年5月22日
- ^ 政府を批判する意見広告に賛同人として署名した政府職員に関する質問主意書 質問第496号 2009年6月3日
- ^ 各国・地域情勢 カンボディア王国 2002年2月
- ^ 『官報』号外第14号、2019年(令和元年)5月21日
- ^ a b 「勝つためなら何をやってもいいという風潮はよくない」 日刊ゲンダイ 2008年12月6日
- ^ 小川大使インタビュー 山口香の「柔道を考える」2009年1月26日
- ^ Newsletter vol. 5 2008年12月25日
外部リンク
編集- Judo International: Voice of Japan by Gotaro OGAWA
- 予想外にウケる海外での能公演 - 2018年4月24日
- 北米総領事便り (外務省員の声 1999年10月)
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