小川裕介
小川 裕介(おがわ ゆうすけ、1979年6月16日 - )は、京都府宇治市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府宇治市 |
生年月日 | 1979年6月16日(45歳) |
身長 体重 |
183 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2001年 自由獲得枠 |
初出場 | 2002年10月9日 |
最終出場 | 2003年8月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集小学3年で野球を始め、当時は捕手だったが中学で投手となる[1]。立命館宇治高校時代は3年夏の京都府大会ベスト4が最高成績で、甲子園には出場できず[1]。立命館大学時代には1年上に山田秋親がいて、4年春からエースになると7連勝を記録し、リーグ通算26試合に登板し、9勝3敗防御率1.77の成績を残した[1]。4年の大学選手権は準決勝で初登板、先発するも敗れた[2]。2001年にオリックス・ブルーウェーブ(当時)初の自由枠選手として入団[1]。
プロ入り後
編集2002年10月9日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。同年は3試合に登板した。
翌年2003年は2試合に登板し、防御率は135.00を記録した。また、8月1日の福岡ダイエーホークス戦でも登板したが、この試合はチームが1-29と記録的大敗を喫した試合であり、小川も大きく打ちこまれてしまった。
2004年は一軍登板はなかった。
2005年からは大阪近鉄バファローズとの球団合併・分配ドラフトを経てオリックス・バファローズと契約したが一軍登板はなかった。
2006年に二軍の広島戦で初勝利を挙げた。二軍でも入団から13連敗を喫しており、その連敗を止めての初勝利だったが一軍登板はこの年もできず、10月に戦力外通告を受けた。その年の12球団合同トライアウトに参加するが獲得する球団はなく現役を引退した。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2002 | オリックス | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 3.0 | 4 | 0 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 1.67 |
2003 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 0.1 | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 5 | 135.00 | 18.00 | |
通算:2年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 3.1 | 7 | 1 | 4 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 8 | 7 | 18.90 | 3.30 |
記録
編集- 初登板:2002年10月9日、対西武ライオンズ27回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回表に4番手で救援登板、2/3回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に松井稼頭央から
背番号
編集- 19 (2002年 - 2004年)
- 68 (2005年 - 2006年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 小川裕介 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)