小川一清
日本の電気工学者
小川 一清(おがわ かずきよ、1892年(明治25年)1月25日[1] - 1958年(昭和33年)12月11日)は、日本の電気工学者。電気学の権威。神奈川大学教授、同大理事を兼任した[2]。京都帝国大学工科教授工学博士小川梅三郎・志摩(共に同墓)の長男であり、妻の香代(香代子)の家系も科学者の家系であり父は地質学者小川琢治、母小雪(小川駒橘の娘)であり、その小川琢治の三男にノーベル賞物理学者湯川秀樹がいる[3]。一清と香代の長男の小川岩雄も核物理学者。[4]享年66歳。墓所は多磨霊園。
小川 一清 おがわ かずきよ | |
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生誕 |
1892年1月25日 日本 東京都 |
死没 | 1958年12月11日 66歳 |
国籍 | 日本 |
配偶者 | 小川香代 |
親 | 父親 小川琢治 母 小川小雪 |
業績 | |
専門分野 | 電気工学 |
来歴
編集東京出身。東京帝国大学卒業。逓信省電気試験所第二部長、東北帝国大学教授、富士通信機製造取締役部長、古河電工通信機部長などを歴任。1949年(昭和24年)新制神奈川大学発足時に神奈川大学教授。神奈川大学理事。[5]
研究・受賞
編集研究 電気工学を研究。
受賞 なし[5]
著書
編集- 『電気及磁気』(1943:道田貞治と共著)
出典
編集- ^ 20世紀日本人名事典
- ^ 歴史が眠る多磨霊園小川一清
- ^ 昔の新聞点検隊昔新聞・昭和(21~30年)の記事湯川博士に日本初のノーベル賞
- ^ “小川一清 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年11月20日閲覧。
- ^ a b 日本人名大辞典+Plus, 20世紀日本人名事典,デジタル版. “小川一清(オガワ カズキヨ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年11月20日閲覧。