小山 吉郎(こやま きちろう、1860年3月22日安政7年3月1日) - 1929年昭和4年)2月26日)は、明治期から昭和期にかけての大日本帝国海軍造船技師[1]。海軍造船総監を務め、最終階級は海軍造船少将

兄は画家の小山正太郎[1]

経歴

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越後長岡藩士・小山良運の二男に生まれる[2]長岡洋学校を経て[3]工部大学校造船学科を1883年(明治16年)に卒業した[1][2]1884年、小野浜造船所に入り、[要出典]1888年に海軍大技士となる[4]。1890年、呉鎮守府造船部製造科主幹となる[要出典]。1891年に従七位に叙せられる[4]

1896年に造船監督官[5]となり、ドイツ帝国に留学して造船学を学ぶ[1]

1898年に正六位に叙せられた[4]。1901年に勲五等を叙されている[4]

1902年に海軍造船大監、1903年に佐世保造船部長、1908年に舞鶴造船部長を務めた[2]。1908年12月に海軍造船総監、1911年に横須賀海軍工廠造船部長にそれぞれ就任した[2]。1913年12月に予備役となる[2]

1915年に工学博士号を取得した。1919年に海軍造船少将となる。[要出典]

脚注

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  1. ^ a b c d 小山吉郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%90%89%E9%83%8Eコトバンクより2024年4月15日閲覧 
  2. ^ a b c d e 小山吉郎 - 『人事興信録』第4版(1915年、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」)
  3. ^ 『新潟県立長岡高等学校同窓会』株式会社旭出版、2010年、63頁。 
  4. ^ a b c d 小山吉郎 - 『人事興信録』初版(1903年、リンク先は名古屋大学大学院法学研究科の「人事興信録データベース」)
  5. ^ 奥本剛. “海軍軍人データベース”. 2024年4月16日閲覧。